新改訳2017問題箇所 エペソ4:9

ご質問コーナー
応為さんからのコメントの中にご質問と疑問がありました。今回は前半の質問だけにします。とっても大切な内容ですので、ウェブチャで取り上げさせていただいて、みなさんにシェアさせていただきます。
ご質問「 2017年版のエペソ4:9は、『彼がまず地の低い所に下られた、ということでなくて何でしょう。』が『彼が低い所、つまり地上に降られたということでなくて何でしょうか。』となっています。しかしこの2017年版が意図的に、『地上に降られた』としたのであれば、うっかりミスどころか悪意を感じます。内容が全く変わってしまうからです。」
新改訳2017はそのように訳されているのですね!より良い日本語の翻訳が出されたと期待していたのにがっかりしたと同時に、とってもビックリしました。

1. 多くの写本にはない言葉の付け足し!

新改訳第三版では、
──この「上られた」ということばは、彼がまず地の低い所に下られた、ということでなくて何でしょう。エペソ4:9
ですが、「低い」ではなく、比較級で「より低い」が正しいです。信頼できるTextus Receptus*には、「地のより深いところ(部分)に」とあるだけです。第3版にもなかった言葉が付け足されました。「つまり地上に」という言葉は全くありません。そのように言い換えるのは、間違った解釈を押しつけるための付け足しです。啓示録22:18〜19の警告に対する全くの恐れがない人が翻訳に携わっているのでしょうか?

*新約聖書は5000を超えるギリシャ語の写本が残されているそうです。これらを1516年、オランダ人エラスムスが世界で初めて一冊のギリシャ語新約聖書にまとめました。そして、1624年から、この聖書本文は、テクストゥス・レセプトゥス Textus Receptus(Received Text、「神から受け入れられた本文」の意)と呼ばれるようになりました。実際5000近い古い写本と99%と一致している信頼できるテキストということで、わたしの愛用の1冊です。
この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。 また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の書と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる啓示録22:18〜19

2. 他にもある改ざん

「いのちの木」ではなく、「いのちの書」です。
いのちの木の木から実が食べられない程度の警告ではないのです。間違わないでほしいです。「いのちの書」です。「いのちの書」から名前が取り除かれる事は、ゲヘナに投げ込まれるという事です。
その名がいのちの書に記されていない者は、火の湖に投げ込まれた。 啓示録20:15
この15節も啓示録22:19も「いのちの書」は、全く同じ単語ですから、「書」ビブロス(βίβλος)を「木」と直す根拠は全くないのです。また、火の「湖」リムネー(λίμνη)とは「池」とも訳せますが、池は湖よりも小さいものを指していますので、ここでは「湖」が適切と思います。もし、聖書に付け足したり取り除いたり下なら、永遠の燃える火の湖の中に投げ入れられるのですから、恐れを持って注意深く正しく翻訳に携わることが責務です。

3. 聖書翻訳委員会に責任を問う!

翻訳委員会が「『つまり地上に』と聖書にない解釈を付け加え、聖書の言葉を編集し直すことに同意した」とするならば、それは許されない事です。神学に基づいて聖書の原典にない言葉を付け足し、意図的に意味を変えてしまっているとしたら、自らを神とすることです。原典に忠実とは言えません。読む人の多くの人は翻訳された聖書から学ぶ事になるのですから、絶対にやってはならない事です。

「聖書 新改訳2017」の特徴 ③ 原典に忠実

新改訳の特徴である「原文が透けて見える」翻訳を継承しております。とうたわれています。しかし、誇大広告です!「原文が透けて見える」翻訳とわけのわからない修飾語を使うこと自体、買い手を惑わしているように思えてなりません。

「聖書 新改訳2017」の特徴 ② 聖書学の進歩を反映

長年の研究を踏まえ、最新の定本に基づいて訳文を変更しました。ともうたわれています。しかし、研究がストップしているのか後退しているのか?それは神のことばをより忠実に翻訳するのでなく、神学に合わせて聖書の訳文を変更する。すなわち、付け加えたり取り除くなどの改ざんした翻訳聖書を作り出しているとしたら、大罪とも言えないでしょうか!

4. 聖書読者への注意喚起

他の箇所も含めて、2017年版はさらに第3版より良くなったとみなさんが期待しているようですが、多くの点で裏切られています。第3版の間違い箇所が訂正されていないで、より悪い訳が意図的に増えていることなど、今後ウェブチャでもさらに確認していきます。

したがって、「本など活字になったものは正しい」「新しいものはより良い」とか単純に受け取らない方が良いでしょう。そのことを理解した上で、聖書を読むことが大事です。皆さんで、聖書を改めて注意深く読み直して、ウェブチャなどでシェアし合っていけたらより良い翻訳が出来上がるのではないかと思います。お気付きのところをウェブチャにお寄せください。

5. 間違った訳が意味するところは?

2017年版の訳では、「地のより深いところ(部分)に」=「(つまり)地上に」ということです。聖書が伝えて来た、イエス・キリストがハデスに下された事実を否定する翻訳になります。イエス・キリストは地上に来ただけとなります。

また、「地のより深いところ(部分)」=「地上」では、本当に「地の深いところ」について書きたい時にはなんと書くのでしょうか?「地のより深いところより深いところ」となるのでしょうか?

旧約聖書において死後の世界(シェオール)は「地の下に」あるとされて来ました。そして、罪人たちが行く悪い方の死後の世界は「地のより下に」あると考えられていたのです。この旧約聖書の流れと教えを無視しての翻訳は聖書を研究していないといえます。

6. イエス・キリストによる明らかな説明

新約聖書において、死後の世界シェオールの「地の下の上の方(神に信頼する人たちが行ったところ)」は、「アブラハムのふところ」であり、罪人たちが行くところ「地の下のさらに下(地のより深いところ)」は「ハデス」であるとイエス・キリストが明らかにしてくださいました。(ルカ16:19〜31)

イエス・キリストは、「地のよりふかいところ」すなわちハデスに遣わされたという重大な真実を、覆い隠してしまう翻訳は間違いです。ダビデもイエスは「ハデスに捨て置かれず」と(詩篇16:10、使徒2:27)預言し、それを引用して、ペテロは11人の弟子たちと共に立って、「キリストの霊魂は、ハデスに捨て置かれず」と(使徒2:31)と語りました。そのメッセージで3000人ほどが救われバプテスマを受けたのです。(使徒2:41)

この福音の真実を変えてしまう翻訳は間違いであり、イエス・キリストのみわざを縮小し軽んじるものです。そして、それはイエス・キリストのハデスからの復活を、墓からの復活というゾンビレベルに落としてしまう事にほかなりません。

7. ハデスから3日目によみがえられたのはイエスだけ

死んで息を吹き返した人たちは、今日まで結構いるようです。しかし、三日間ハデスに置かれ「聖なる方」として父なる神によって「義」とされてよみがえらされた方は、イエス・キリストのほかにいないのです。「地のより深いところ」とは「ハデス」なのです。地面でも墓でもありません。アリマタヤのヨセフの墓は地の中ではなく、岩をくりぬいた穴で地の下でなく、地面の上にありました。ヨセフの墓に置かれたのはイエスの亡骸(なきがら)だけです。霊魂はハデスに遣わされていたのです。

8. ハデスからよみがえらされる意味

「アブラハムのふところ」の管理者アブラハムは、ハデスで苦しむ金持ちに言いました。
アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者たちの中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』
ルカ16:31
たとえ死人たちの中から」とは「たとえハデスの中から」ということであり、ハデスから生きかえらされた方は、イエス・キリストだけなのです。イエスの話に耳を傾けるでしょうか?

そして、イエス・キリストは、その金持ちのハデスからの願いを例として話しただけでなく、ハデスにいる金持ちの切なる願いを聞いておられたのです。アブラハムには聞いても答えることができなかった願いです。ラザロを遣わすことも誰かをハデスから遣わすこともできませんでした。金持ちは誰かをハデスから遣わしてくださいと必死に願いました。

9. ハデスにいる者たちの切なる願い

金持ちは言った。『いいえ、父アブラハム様、もし、だれかが死んだ者たちの中(ハデス)から兄弟たちのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません。』ルカ16:30
アブラハムは金持ちに言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人たちの中(ハデス)から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。ルカ16:31

10. あなたの願いは聞かれている!

イエス・キリストは、あの金持ちの切なる願いを聞き入れてくださいました。唯一イエス・キリストがハデスからよみがえらされたです。ハデスからよみがえらされたイエスから話を聞き、イエス・キリストに信頼してください。

今日もウェブチャに訪れてくださりありがとうございました! 2017年版の新改訳聖書をお使いの皆さん、せっかく高いお金を出して購入して損したと思わないで、自分の聖書として、それを元に自分でより正しい訳に校閲してください。みんなで聖書の校閲をしましょう。私は第3版に書き込んで校閲しています。また、色々な翻訳の聖書を読み合わせると、違いがわかり、「あれ、そんな翻訳になっている」「そちらの方がわかりやすい」「どっちが正しいの」「これ意味がわからない」など色々気づかされます。KJVなど英語版も参考にしたら良いと思います。

さらに研究したいのでしたら、新約聖書はTextus Receptusを、旧約聖書はマソラ写本を手に入れられ、ギリシャ語やヘブライ語で学ばれるとさらに良いと思います。複数の人たちと聖書を読み合い質問し合ってゆくのも、色々な角度から学びあえて、自分では気づけない観点から教えられることがたくさんありますのでおススメです。でも祈り聖霊の解き明かしを求めることが第一に必要なことです。

今日も祝福のうちのお過ごしください!
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