ご質問:祈りと断食(1) 断食はプチから40日間、どれぐらいするのですか?

ご質問コーナー
ご質問:「ただし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出ていきません。」マタイ17:21ということですが、断食はどれぐらいしたら良いのでしょうか?一食抜くとか、プチ断食とか、それとも四十日間の断食でしょうか?
日曜日のこちらでのエクレーシアで出されたご質問です。

健康のために、あるいは、美容のために断食をする人や勧めをする人もいますが、
聖書は断食をするように勧めたり、命じたりしていないようです。しかし、断食について書いてありますので、調べてみました。

1. 断食は目的ではなく、結果的です。

ダイエットのため、体重を減らすなどの断食は、「聖書の断食」とは関係ありません。個々の信仰(考え)でやるやらないは、任せられています。また、人に勧めるものでもありません。自主性に任せられています。 (ローマ14:1〜4)

断食したら何か良いことが起こるようなことは一切触れていません。むしろ、聖書は食物を感謝して食べるように勧めています。 もし、断食を命じる人や宗教団体があれば、それは間違っています。嘘つきどもの偽善によるものです。
しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。 それは、うそつきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、 結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。
しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。 神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。 神のことばと祈りとによって、聖められるからです。 Iテモテ4:1〜5
目的ではなく結果的であることがわかる例をみてみましょう。
  • 自分の過去の罪を真剣に悔い改めることで、結果的に断食になる (ヨエル2:12〜15、申命記9:18、士師記20:26、Iサムエル7:6)
  • 神との信頼関係を深めるために祈る中に、結果的に断食になる
  • 神に助けや安全や導きを真剣に願い求める中に、結果的に断食になる (エズラ8:21〜23、使徒13:2〜3、14:23)
  • 子供の病の癒しと回復を願い祈り続ける結果断食となる(IIサムエル12:16)

断食が目的や手段となった間違った悪い例

バツ1願いをかなえる手段、恵みを得ようとする手段としての断食をすること
その結果、こんなに頑張ったのに祈りが聞かれないとか不満が出る。
なぜ、私たちが断食したのに、あなたはご覧にならなかったのですか。私たちが身を戒めたのに、どうしてそれを認めてくださらないのですか。」 イザヤ58:3
バツ1形式的断食、制度化した断食、パリサイ人は週2回の断食が自慢になり人を見下す(ルカ18:9〜14)
バツ1偽善的行為、人に敬虔深く見せるため、敬虔ぶる断食、いかにも断食中である事を見せつけ、やつれた顔をする (マタイ6:16)
バツ1宗教儀式としての断食、「葦のように頭を垂れ、荒布と灰を敷き広げることだけ」イザヤ58:5
表面上のいかにも断食をしています的なパフォーマンスではない
バツ1️ 「断食の日に自分の好むことをし、労働者をみな圧迫する」イザヤ58:5
断食しているために、自分の仕事のしわ寄せが他人を圧迫する。イライラが周りにまき散らされる。断食しながら仕事や買い物や趣味や何か自分の楽しい事をしていることでは、食物をたっているだけです。ながら断食は神に喜ばれません。

神に喜ばれる良い断食の例

2. 主を求め交わり信頼関係を深めていく事

  • 人に見せない気づかれない密かな神の御前での断食 (マタイ6:17〜18)
  • 神との関係における祈りと交わりの結果としての断食 (マタイ4:1〜11、ルカ4:1〜12)
イエス・キリストは公生涯を始める前、荒野で父なる神との交わりを40日間していました。サタンは神との交りを妨害し続けました。断食のピークの40日目には霊・魂・体への誘惑をしてきました。
  • 喜びを持ってする断食 (イザヤ58:13)
断食が喜びであり、「栄えある」日、すなわち、名誉や尊厳で輝く日、祝福の日となっているのが健全な断食の日です。

3. 人のために生き、自分のことは二の次三の次に後回しにする生き方

  • 人に対する愛の行為の結果としての断食
わたし(神)の好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。 飢えた者にはあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見て、これに着せ、あなたの肉親の世話をすることではないか。イザヤ58:6〜7
断食とは、食を断つだけに限らず、「自分の好む事をしない事」です。
「断食する事」と同義語として別訳では、「身を戒める、苦行する、身を悩ます、魂を苦しめる」などとも表現されています。一言で言うなら「自分の好むことをしない事」です。

まとめ:聖書の断食とは?

  1. 目的ではなく結果的です
  2. 主を求め交わり信頼関係を深め楽しみ喜んで行くこと
  3. 神や人のために、自分のこと(自分の好む事)は二の次三の次に後回しにする生き方です
今日もウェブチャへようこそ! 健康や美容やダイエットなどの断食は、ご自分の状態に合わせて期間限定でしてください。過度の断食は命の危険に繋がります。特に糖尿病疾患の方はしないでください。

聖書の断食は、もっと別の意味と目的がありますね。まず、自分のためにするのでないのです。むしろ、積極的には、神様との交わりを優先し、誰かを助けるために自分のことを後回しにする事です。

ただ、食物を我慢するのではなく、自分の食べる分を飢えている人にあたえたり、人助けのために翻弄(ほんろう)することで、食べる時間がなかったり、自分のしたいことができず、自分の時間が持てないことなど含まれるのではないでしょうか。親が子供のために献身的にやっていることもそうですね〜!

神や人のために「自分のことは後回し」を挑戦してみたらいかがでしょうか?

今日も良い1日をお過ごしください!
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