三位一体の神(6) あなたを導く聖霊

クリスチャンライフ
前回の続きとなりますので合わせてどうぞ。
三位一体の神(5) 至上の祝福
「神の霊」あるいは「キリストの霊」とは、誰のことを指しているのでしょうか? 聖霊のことですか?別の霊ですか?どういうことでしょうか? イエス・キリストが父のもとから遣わす助け主が聖霊です。神の霊=キリストの霊=御霊(聖霊)ということになります。 次の箇所では、聖霊を「イエスの霊」あるいは「キリストの霊」と表現しています

人生で選択に迷うときはないですか?
職業の選択のときや結婚で相手を選ぶときなど、未来を知ってる誰かからのアドバイスをいただきたいと思いませんか?そんな時はどうするのでしょうか?

占い師のところへ行ったり、スピリチュアルカウンセラーのところへ行ったりしますか?高額なお金を取られる割に嘘ばっかりということがないですか。
なぜなら、彼らは未来を知らないからです。見せかけのもっともらしいことを並べますが、心理トリックに惑わされないようにしてください。

もっと確実で安心できる方をご紹介しましょう。その上無料ですから、良いことづくめです。

未来を知らされる人と、知らされない人がいるのです。
「奴隷」「しもべ」状態の人には、先のこと、未来を知らされません。しもべは主人のすることを知らないからです。(ヨハネ15:15 )「奴隷」はしなければ、やらなければという人生を送っている人です。
そして、コキ使われているだけの人がいるのです。

それは神との関係で、決まるのです。「奴隷」か「子供」か、「しもべ」か「友」かの違いは明らかです。
どちらの人生を送りたいですか?
神の霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。ローマ8:14〜16
教会生活が苦痛になっているのはおかしいです。ひたすら奉仕に駆り立てられているのもおかしいですね。だれかに支配されるとか、コントロールされるようになったり、誰かの目を気にしているようになっているなどの症状が出ましたら、「奴隷の霊を受けたのではない」と宣言し、その状況から解放されることを求めてください。

聖霊はあなたを「神の子」となる道へと導いてくださることでしょう。
聖霊は私たちの内に外に存在されますから、私たちは聖霊に導かれて歩むことを求めましょう。そのためには、聖霊の存在を認めることです。そして、聖霊に示されてことをそれがどんなに小さなことであっても、まず、従うことです。示されたことにあなたが従うことが、聖霊が認めるところになれば、次のステップが示されます。

聖霊はどのように私たちを導いて下さるのでしょうか?

(1) 三位一体の神の交わりの中にあなたを導いてくださいます。

あなたを「子として下さる聖霊」ですから、私たちは聖霊によって、「アバ、父」「おとうさん」と親しく父なる神を呼ぶ者とされているのです。特権です。「神様」と祈るのではなく、「父」「おとうさん」「お父様」と呼びかけて祈ります。そのように呼びかける事をどんなにか父なる神は、喜んでくださっていることでしょうか!まだ、「神様」と祈っている方は、今から始めてみてください。

以前私が「神様」と祈っていたのを、このみことばの真理を知らされて、「天のお父様」とあえて祈り始めた時から、ぐっとその関係が近くなりました。「おとうさん」でよかったのですが、私の父親が健在でしたので、区別する必要がありました。イエス様も「主の祈り」で、「天にいます私たちの父」(マタイ6:9)と祈るように教えてくださっています。

定まった祈りの言葉や祈祷書も必要ではありません。祈りは神との会話です。形式張った祈りを神は望んでいません。くどくど祈る祈りも希望されていません。本人が何をいっているのかわからない異言の祈りも願ってはおられないのです。完璧な言葉を探すのではなく、正直な、心からの祈りを捧げて下さい。どんな不完全な祈りも、聖霊がとりなして下さいますから、安心して祈り始めましょう!
御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます人間の心を探り窮める方(父なる神)は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。 ローマ8:26〜27
聖霊は、あなたが神の子とされたので、父なる神とイエス・キリストと聖霊の交わりの中に招き、神の子としての人生を送るように導いてくださるのです。子であるあなたに、神は色々なことを教えてくれます。大事な進路、結婚、選択に困るその時、あなたは祈りを通して導きをいただけます。

(2) 三位一体の神の御心を知らせるようにあなたを導きます。

日常生活の右か左かという導きもありますが、もっと広い、地球規模、いや、宇宙規模で神様の壮大なご計画を教えていただくことができるのです。特別な能力を持った人だけではありません。特別に訓練を受けたり、精進したりした者だけの特権でもありません。最低限必要なことは聖書に親しむことです。聖書を書かせた聖霊は完成された聖書を通して、私たちに神の思いを教えて下さいます。
聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。 IIテモテ3:16、17
聖書を読み味わう人生を始めませんか。聖霊は聖書の言葉を必要に応じて思い起こさせ、解き明かし、示して下さるのです。あたかもイエス様がそばにいるようにイエス様の御心を伝えて下さいます。真理へとみちびいてくださいます。そして、聖書に啓示された近未来の預言を教え、やがて起ころうとしていることを聖霊は知らせてくれるのです。このウェブチャもあなたが聖書を読み進めるお役に立てれば幸いです。
…その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。 御霊わたしの栄光を現します。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。 父が持っておられるものはみなわたしのものです。ですからわたしは、御霊わたしのものを受けて、あなたがたに知らせると言ったのです。 ヨハネ16:13〜15

助け主、すなわち、わたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。 ヨハネ14:26

(3) 聖霊は多くの実を結ぶようにあなたを導きます。

どんなに物質的に豊かになったとしても、自分自身がそれにふさわしくないなら、喜べず楽しめません。聖霊は、あなた自身が豊かな人となるように、あなたの人格が練り清め、多くの実を結せます。それが父なる神の喜びだからです。あなたはキリストにつながっている枝のように、キリストから栄養を与えられ、力を与えられ、実を結べるようになるのです。良い実を結ぶのは、努力ではなく、意志の強さでもなくキリストにつながっているという信頼関係の結果です。
御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。 互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。 ガラテヤ5:22〜26
何もしないなら、私たちは自分の肉の実を結んでしまいます。さまざまな情欲や欲望に振り回され、悪の実を結んでしまうのです。御霊の実の逆のものが肉の実です。
御霊の実はどのように結ばれるのでしょうか?努力や頑張りではありません。

むしろ自分の欠乏や欠陥に気づかされ、全知全能の父なる神の前にへりくだって祈るところから始まるように思えます。枝が枝だけでは実を結べないように、「自分ではどうすることもできない」と気づき、私たちはしっかりとイエス・キリストにつながり続けることを求めるだけです。イエス・キリストと私の間に何も入らせないで、ダイレクトにつながる事です。そして、イエス様にとどまり続ける事です。それ以上でも以下でもありません。時が来れば実を結びます。

その人の教えやワザや能力を神様は実として判断されるではありません。神様が喜ばれるのは、聖霊が導く実です。愛を語るのと愛の実を結んでいるのとでは、絵に描いた餅と実際に食べられる餅以上の違いがあります。正しさを振りかざして人を裁くところに愛は感じられないでしょう。キリストの愛に捕らえられていない、体験していない人からの言葉は、律法的なコントロールと冷たい厳しさにしか聞こえませんね。

今日もウェブチャへようこそ!
私たちを導いてくださる聖霊なる神様の働きは、とってもありがたいですね。三位一体の神様の交わりの中に入れられている子としての身分も嬉しいですね。問題は、それを文字通り認めて生きているかどうかです。

聖霊は強制しません。あなたが無視するなら、聖霊の導きも助けも弱く小さくなります。どうして私に導きがないのか?という前に、聖霊の導きを無視していないか?いなかったか?反省してみることも大事ですね。

そして、従うべき何かがひょっとしたら示されているかもしれません。その一つから、まず始めてみましょう。

三位一体の神の豊かな祝福が今日もありますように!
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コメント

  1. 学生 より:
    結局三位一体とは何なのでしょうか?何が3つ集まったんですかね??笑
    • Masaluk より:
      ご質問ありがとうございます。「三位一体」ということばは聖書にありませんが、聖書の書き出しの創世記1章1節から「初めに神が」の神エローヒムと複数形ででてきますが、述語の「創造した」と単数系で受けうことで、複数にして唯一の神を表していることが、ヘブライ語の聖書では何回もでてきます。また、人間が作った「神々」はおなじ「エローヒム」がつかわれますが、複数形の述語で受けているので明らかです。三位とは、「父なる神」と「子なる神イエス・キリスト」と「聖霊なる神」の別々の神格を持った存在です。十分な説明ではありませんが、少し理解を助けてくれるのは、三位一体のエローヒムに似せて創られた私たちが、霊・魂・体の3つの別々のものが1つになっている統一体が、一人の自分自身だということです。
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