「異言」と訳されたグローッサ γλῶσσα の徹底検証 12

クリスチャンライフ

いよいよ、このシリーズの最終回となりました。 Iコリント14:23~40からの検証を行います。

救いを妨げている異言集会

ですから、もし教会全体が一か所に集まって、みなが異言を話すとしたら、初心の者とか不信者とかが入って来たとき、彼らはあなたがたを、気が狂っていると言わないでしょうか。 Iコリント14:23

ここでの異言は、すでにコリントの集まりで混乱を引き起こしていた怪しい異言です。大多数がそのような奇妙な異言で話していた時に、不信者がそこを訪れたら、どんなことが起こるでしょうか? 彼らが思い、口にすることは、「この教会は、気が狂っている!」と言うのです。

今日も似たような異言の集会が開かれ、そこに初めて出席した人たちが、びっくりして、「ここは怪しい変な集団だ」と思い、二度といかなくなっているのです。

みんなが異言で祈る集会が、かえってつまずきを起こし、人々の救いの妨げになっていることに気づいているでしょうか⁉︎

みなが預言するなら

しかし、もしみなが預言をするなら、不信者や初心の者が入って来たとき、その人はみなの者によって罪を示されます。みなにさばかれ、 25心の秘密があらわにされます。そうして、神が確かにあなたがたの中におられると言って、ひれ伏して神を拝むでしょう。 Iコリント14:24~25

ここでの預言は、未来を予言することではありません。また、聖書以外のメッセージを聖書に付け加えることでも、訂正することでもありません。聖書に基づき人々の救いのために、救いの良い知らせを神から預かった言葉として伝えることです。

聖書に書かれていない、あるいは、聖書から外れて何かを預言する者がいるなら、ニセ預言者です。

現在、神から遣わされた預言者はいません。やがて神が遣わされる預言者は、患難期中期にエルサレムで伝道する2人の預言者だけです。それ以外の預言者はもやはいません。預言は廃れているのです。(啓示録11:3、Iコリント13:8)

混乱を避け秩序を保つための提案

コリントの集会では、それぞれが自分勝手にやりたい放題やっていたために、混乱がありました。聖霊に満たされるというのは、何もかも自由で、各自が思い通りのことをやればいいというような間違った考え方がありました。

混乱の原因は、異言で祈る者は祈り、しゃべりたい者はしゃべり、話したい者は話して好き勝手やっていることでした。集まっていることが益にならない状態でした。そこで、パウロは以下のことを提案します。

1、「建て上げる」目的にかなっているか?

兄弟たち。では、どうすればよいのでしょう。あなたがたが集まるときには、それぞれの人が賛美したり、教えたり、啓示を話したり、異言を話したり、解き明かしたりします。そのすべてのことを、徳を高めるためにしなさい。 Iコリント14:26

聖霊の賜物が与えられる目的を見失わないようにすること。自分がしていること、しようとしていることが、果たして周りの人たちの益になるか、助けになるかどうかを、まず、判断しなければなりません。周りの人たちの役に立っていないなら、やめるべきです。

聖霊の賜物は、自分が満足するためではなく、集まる人たちを励まし、慰め、育て、皆の益になるかを前提に賜物を用いるのです。

2、秩序を持って実施されているか?

もし異言を話すのならば、ふたりか、多くても3人で順番に話すべきで、ひとりは解き明かしをしなさい。 28もし解き明かす者がだれもいなければ、教会では黙っていなさい。自分と、神とに話しなさい。 Iコリント14:27~28

誰もが話すのではなく、集会において語る者の人数を制限して、ふたりか3人にし、順番にすること。外国語の場合は、通訳を必要とするために、通訳者がいないなら、黙って神との祈りの中に過ごすこと。

状況や場をわきまえず、我先にと話すことや、自分勝手に祈り出すということも、混乱が起こっている原因でした。そうしないようにとの勧めです。

3、預言もふたりか3人が話し、他者は吟味する

預言する者も、ふたりか3人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。 Iコリント14:29

「吟味する」ディアクリーノーδιακρνω 「みきわめる、識別する、判定する」という意味もあります。語られた言葉をしっかりと味わうことです。

同時に、ただ鵜呑みにするのではなく、必ず聖書全体と照らし、果たして神の御心がどうかを調べたうえで、受け入れ神に従うということも含まれます。

4、啓示が与えられた時には

もしも座席に着いている別の人に啓示が与えられたら、先の人は黙りなさい。 Iコリント14:30

和訳では「黙示」と訳されますが、黙って示すものでも、隠され続けている奥義でもありません。むしろ、その反対です。「啓示」であって、「隠されたことを明らかにする」ことです。アポカルプトー ποκαλπτω 「覆いを取る」「今まで奥義であったものを分かりやすく解き明かす」ことです。

アポカルプトーの名詞形がアポカルピシスです。新約聖書の最後の書の1章1節に出てきます。意味は黙示ではなく、イエス・キリストの啓示です。ですから、啓示録が正しいのです。

聖書を読み解釈を伝えるだけでなく、聖霊が示されたことを伝えます。そして、兄弟姉妹を聖霊の宮にふさわしく建て上げるために、聖書を解き明かし学ぶのです。

5、皆がかわるがわる学び合える

あなたがたは、みながかわるがわる預言できるのであって、すべての人が学ぶことができ、すべての人が勧めを受けることができるのです。 Iコリント14:31

聖書を学ぶことに上下関係はないのです。神の言葉である聖書から、聖霊を通して解き明かしをいただくのです。マリアのようにイエスの足元にひざまづき、主から直接学び、学んだことを分かち合うのです。

そうすることで、「みながかわるがわる預言できるのであって、すべての人が学ぶことができ、すべての人が勧めを受けることができる」という集まりが実現します。

ただし、初心の者や、聖書全体を理解していない者が学ぶことは、間違いに陥りがちです。少なくとも聖書を通読し、神が何を言おうとしているか把握し、理解していることが最低限必要でしょう。

互いに学び合える群れとなるように、皆さんの成長を祈ります。

6、預言者の霊は預言者に従う

預言者たちの霊は預言者たちに服従するものなのです。 Iコリント14:32

ところが、コリントの集まりでは、霊の暴走があったのです。霊の高ぶりがあり、秩序に従わず、場をわきまえず、奇妙な異言をやめないばかりか、聖霊が語れと言っているからと、大声でまくしたて目立ちたがる者たちがいたのです。

「聖霊が話させるから、黙ることができない」というのは、嘘です。コントロール不能になるのは、間違った霊(悪霊)に支配されているか、自己中心でやめようとしないかの、どちらかの問題です。

7、平和の神を表していく集まり

それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。 Iコリント14:33

私たちの信頼する方を中心に迎える集まりは、混乱ではありません。無秩序に、めいめいが好き勝手なことをやるのではなく、秩序を保って集まりを持ち続けることが大切です。

お互いが建てあげられる集会となるように求める必要があります。「平和の神」が表される集まりとなりますように求めましょう。

最後のグローッサの箇所

それゆえ、私の兄弟たち。預言することを熱心に求め続けなさい。グローッサを話すことも禁じてはいけません。 40ただ、すべてのことを適切に、秩序をもって行いなさい。Iコリント14:39~40

このグローッサは、奇妙な怪しい異言についていっているのでしょうか? それとも、外国語のことでしょうか?

今までの学びを振り返って、答えを考えてみてください。このシリーズの1〜12までの読んできてくださった方にとって、答えは簡単と思います。

ヒント1、パウロがこのグローッサは話すものだと言っています。

ヒント2、初代教会の経験してきたグローッサに基づいて判断すると?

ヒント3、コリント教会を混乱に陥れたグローッサではないものです。

ヒント4、パウロが肯定的にとらえ、自らも話し、禁じてはいけませんと許可しているものです。

もう、答えは、お分かりですね。そう、外国語です。福音伝道のため、国際的交わりのため、通訳のため、外国語を学び習得することは、推奨されることです。

今日もウェブチャへようこそ!

異言の徹底検証に長くお付き合いくださりありがとうございました。皆さんの忍耐深い学びが祝福となったことと期待しています。間違った教えや勧めも惑わされることなく、聖霊が与えてくださる愛という最高の賜物を第1に求めていきましょう。

愛道を歩む皆さんの信頼生活が祝され、御霊の実を結んでゆく人生となりますように!

今日も良い1日をお過ごしください。

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