
三位一体の神(4) 三つの区別と一つであること
前回の続きとなりますので合わせてどうぞ。 3. 三位一体の神は、お互いを区別し、異なる人称代名詞を使っている それは、独立した別の実体であり、人格(神格)だからです。 わたし(イエス・キリスト)が父(なる神)のもとから遣わす助け主...
⑷ 一体となって働かれる三位一体の神
「神の霊」あるいは「キリストの霊」とは、誰のことを指しているのでしょうか?聖霊のことですか?別の霊ですか?どういうことでしょうか?
「神の霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。」ローマ8:9イエス・キリストが父のもとから遣わす助け主が聖霊です。神の霊=キリストの霊=御霊(聖霊)ということになります。
…同じように、神のみこころのことは、神の霊のほかにはだれも知りません。 ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜ったものを、私たちが知るためです。 生まれながらの人間は、神の霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。Iコリント2:11〜12、14
「わたし(イエス)が父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊が…」ヨハネ15:26
次の箇所では、聖霊を「イエスの霊」あるいは「キリストの霊」と表現しています。
「こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの霊がそれをお許しにならなかった。」使徒16:7聖霊は「神の霊」であり、「キリストの霊」、あるいは「イエスの霊」です。
「彼らは、自分たちのうちにおられるキリストの霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光を前もってあかしされたとき・・・」1ペテロ1:11
「私の」という所有を主張しているのではなく、とても親しみを込めた表現です。「我が子」というのに似ています。
それは、父なる神と聖霊、イエス・キリストと聖霊との親しい親密な関係を表す言葉です。切っても切れない信頼関係の中で、聖霊は父なる神とともに、また、聖霊はイエス・キリストとともにと一体となって働きなさる方なのです。聖霊が働かれるところに父なる神も、イエス・キリストも存在されます。
「その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。」ヨハネ14:20と言い残して、イエスはこの後昇天して、彼らと離れてしまいます。10日後には五旬節で、聖霊が彼らに下りました。
「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」マタイ28:20
イエス・キリストではありません。「世の終わりまでいつも」という約束はどうなっているのでしょうか?
もうお分かりでしょう。聖霊が存在されるところにイエス・キリストもいてくださるのです。すなわち、聖霊を通して私たちと共におられることが実現しています。そして、父なる神もともにいてくださるのです。
聖霊が存在されるところに、イエス・キリストは存在され、イエスの存在するところに父なる神も存在されます。こうして三位一体の神は交わりを絶えず続けておられるのです。
けれども、もし神の霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの霊を持たない人は、キリストのものではありません。 ローマ8:9神の霊=御霊(聖霊)=キリストの霊とここでも繰り返されますが、私たちの中に聖霊が住まわれ、私たちは聖霊の中にいるという驚くべき事実が伝えられています。私たちは内側も外側も聖霊の臨在の中にあるのです。すごいことです。
旧約聖書の時代には、聖霊は特別な人に、一時的に下られ、時には途中で去って行かれたのです。特別な人とは、王や祭司や預言者といったイスラエルの民の中でも限られた特定の人たちでした。
ところが、イエス・キリストを救い主と信頼して受け入れる者たち誰にでも、五旬節以来、聖霊が来て下さるようになってから、私たちに聖霊は内住され、私たちは聖霊の中に守られ生かされているのです。そして、その聖霊とイエス・キリストと神は、共にいて下さるのです。
「でも、そう感じないのだけれど」と思っている期間がありました。
しかし、これは感覚の問題ではありません。事実かどうかです。事実として受け止めて、信頼して生きる時、文字通り実現していきます。聖霊は私たちの内に住んでいてくださるのです。また、私たちの外側も聖霊によって守られているのです。それは、一時的ではありません。イエス・キリストが迎えに来てくださるまで、あるいは天に召されるまで、世の終わりまでです。
聖霊は、私たちの心と霊を悪霊の攻撃から守ってくださいます。また、私たちの外側も数々の悪や悪霊の攻撃から守られるのです。そして、聖霊が内に住んでくださっている私たちには、父なる神とイエス・キリストはそばに、いつも、共にいてくださるのです。これ以上の祝福があるでしょうか!
今日もウェブチャへようこそ!
三位一体の神が私たちと深く関わって下さっているのです。至上の祝福は私たちが求めるなら実現します。偽物のご利益宗教やスピリチャル系のまがい物にだまされないようにしてください。
三位一体の神が私たちに関わってくださり、天使も守りについて下さっているのです。私たちはなんと恵まれているのでしょうか?こんなにすごいことをなんでもっと早く知らせてくれなかったのでしょうか!
大丈夫です。気づいた今から始めれば良いのです。霊的な世界は「後のものが先になる世界」です。自分がいかにどうしようもないかを理解し、絶望し、神の恵みと愛に渇き、求めるなら、神の愛を知る先の者になるのです。
三位一体の神と天使の祝福の中に良い1日をお過ごしください!

宗教嫌いの私が、生まれて初めて聖書を開いて読んだのは、高一の春。今だに宗教とか、キリスト教は好きではありませんが、今ではすっかり、聖書の魅力にはまって、奥深いみことばの味わいとその力と不思議に、心温められております。
ただ真理や事実を知りたいと、化石、古生物学、天文学、考古学、歴史、預言、精神や心の世界、霊的世界、死後の世界…などと探求しつつ、いつの間にか50年以上経ちました。
専攻は地質学ですが、テキサスのパルクシー川底の同じ岩盤の上に続く、恐竜と人の足跡化石、その岩盤に立った時はかなりの衝撃でした!初代の創造科学研究会の理事の一人として、ここニュージーランドに移住するまで、日本各地で講演させてただき、また、 Masaluk(メイサルーク)のペンネームでマンガ・ジェネシスの1と2のシナリオを書かせていただきました。
1994年からオークランド日本人教会の牧会の一端を担い、2018年5月から、必要に迫られさらに多くの人に良い知らせが届くようにと、イエス・キリストを中心とするHomeチャーチ「Japanese Bible Ecclesia (J-BE)」 https://ajbe.net/ を新たに始め、現在に至ります。
このウェブチャが、現在直接お会いできない皆さんにとっても、祝福の助けになりますように!(笠原 勝)
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