「天国って凄いところですね。
クリスチャンだって、気の合わないあんちくしょうや、この野郎がいますよね。
そいつらみんな一緒で平和なんでしょうか?
地上での記憶はないのでしょうか?
お互いを認識しあえるのでしょうか?」
順番を変えてご一緒に考えてみましょう。クリスチャンだって、気の合わないあんちくしょうや、この野郎がいますよね。
そいつらみんな一緒で平和なんでしょうか?
地上での記憶はないのでしょうか?
お互いを認識しあえるのでしょうか?」
Q1. お互いを認識しあえるのでしょうか?
はい、お互いを認識しあえるようです。アブラハムも、イサクも、ヤコブも、本人として生きています。
イエス・キリストが山で変貌した時に現れたモーセとエリヤも、三人の弟子たちによって「モーセだ。」「エリヤだ。」とわかり、認識されました。
「いや違う!」などと彼らの意見は、分かれませんでした。(マルコ9:2-8)
人は死ぬと別の存在になるわけではありません。
輪廻転生はありません。モーセはモーセ、エリヤはエリヤです。
あなたはずっとあなたですよ。
天国へ行った幼子や赤ん坊は、おそらく、成長した大人になっていると思いますから、
他の大人より誰だとわかるまでに時間がかかることでしょう。
私どもの四番目の子供や両親や妹にも会えるのを楽しみにしています。
私は若返ると希望しておりますが、そういった変化があると思います。
傷もシミもシワもそのようなものの何一つない 栄光の姿に変えられます。(エペソ人への手紙5章26-27節)
ピチピチの赤ん坊のような肌ですね。
化粧品もいらない!
一体何才ぐらいでしょうかね?
それも楽しみですね。
モーセとエリヤも若くなっていたのでしょうか?
それでも、本人とわかったのは?
名札が付いていた、わけではないでしょうから、
名前を呼びあっていたのでしょう。
ペテロもヤコブもヨハネも、この二人の先祖とは
生きた時代が違いますから、当然全く面識がなかったのです。
Q2. 地上での記憶はないのでしょうか?
いい記憶はもちろんありますよ!自分自身という自覚もあります。
モーセは、律法トーラーの付与者としての自覚をもって、
エリヤは預言者としての自覚を持って、現れましたから。
しかし、悪い記憶は、天国に持ち込みたくないですね!
だから、今から、生きている間にきちんと処理が必要です。
どんな処理方法ですか?
それは、「イエス・キリストの赦し」を毎日、毎回体験していくことです。
思い出したくない嫌な記憶は、処理済みになっていますか?
「あんなことあったけど、赦されて、本当にありがたいなあ!」と
イエス様の十字架の赦しの体験として、記憶を塗り直していますか?
「こんな辛い経験があったから、いろんなことを学べて、今の私がある。」
などと、肯定的なラベルを付け替えていきましょう。
ただ、私たちにはどうすることもできない辛い記憶があります。
それらに付いては心配しないでください。
どうすることもできない辛い記憶をイエス・キリストが取り扱ってくださり、
天国においては完全に癒されることになるでしょう。
7年のハネムーン期間では、
イエス様に出会って、イエス様のことで心がいっぱいで、過去のことなどどうでも良くなります。
それに続くプライズギビングでは、
あなたの辛い経験に対して、あなたが、イエス・キリストのゆえに耐え忍んだこと。
辛いながらも、信頼関係を保ち続けたことに対しての賞、報い、プライズが与えられることでしょう。
続く千年王国では、あなたの辛かった経験が生かされる働きが任せられます。
そして、完全な癒しが与えられます。
「先の事は思い出されず、心に上ることもない。」イザヤ65:17ことが実現します。
過去の神のみ心に沿わない「的外れ」の数々は、
イエス・キリストを救い主と信頼した時点で、
「古い自分はキリストと共に十字架につけられた。」(ローマ6:6)ことが実現しました。これがスタートであり、毎日の確認事項です。
「もし、私たちがキリストともに死んだのであれば、彼と共に生きることになる。」(同8)
日々の神のみ心に沿わない「的外れ」の数々は、
キリストと共に歩むのにふさわしくないと聖霊により示されます。
あなたは、その的外れな生き方「行動、思い、行い、受け応え」を
「〇〇はあなたが喜ばれないことです。」と言い表し、
赦され、全ての悪からきよめられていくのです。(Iヨハネ1:9)
天国には持ち込んではならないものを、日々その都度処理していくのです。
「恥ずかし〜い!」なんてことにならないようにしたいものですね。
今日もウェブチャへようこそ!
私たちの毎日の生活は、未来に続いています。
私たちの体験は無駄ではありません。辛い経験も、辛い思いも、
イエス・キリストとつながる時、
全てを働かせて益としてくださるのですので、(ローマ8:28)
期待して、全てを評価してくださる主にお任せして行きましょう。
今日も良い1日をお過ごしください!
宗教嫌いの私が、生まれて初めて聖書を開いて読んだのは、高一の春。今だに宗教とか、キリスト教は好きではありませんが、今ではすっかり、聖書の魅力にはまって、奥深いみことばの味わいとその力と不思議に、心温められております。
ただ真理や事実を知りたいと、化石、古生物学、天文学、考古学、歴史、預言、精神や心の世界、霊的世界、死後の世界…などと探求しつつ、いつの間にか50年以上経ちました。
専攻は地質学ですが、テキサスのパルクシー川底の同じ岩盤の上に続く、恐竜と人の足跡化石、その岩盤に立った時はかなりの衝撃でした!初代の創造科学研究会の理事の一人として、ここニュージーランドに移住するまで、日本各地で講演させてただき、また、 Masaluk(メイサルーク)のペンネームでマンガ・ジェネシスの1と2のシナリオを書かせていただきました。
1994年からオークランド日本人教会の牧会の一端を担い、2018年5月から、必要に迫られさらに多くの人に良い知らせが届くようにと、イエス・キリストを中心とするHomeチャーチ「Japanese Bible Ecclesia (J-BE)」 https://ajbe.net/ を新たに始め、現在に至ります。
このウェブチャが、現在直接お会いできない皆さんにとっても、祝福の助けになりますように!(笠原 勝)
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