3、すると、他の天使が来て祭壇のそばに立った。彼が持っていた金の香炉に、たくさんの香が与えられた。それは全ての聖徒たちの祈りを、御座の前にある金の祭壇の上にささげるためであった。 4、こうして、その香の煙は、聖徒たちの祈りとともに、その天使の手から神の御前に立ち上った。5、それから、その天使は、その香炉を取って、祭壇の火でそれを満たし、地に投げつけた。すると、いくつもの声と雷鳴といなずまと地震が起こった。啓示録8:3〜5
悪者の死を決して喜ばれない神
天にあった半時間ほどの静けさ。天での賛美の大合唱がピタッとやんだ後に、聖なる厳粛な静寂が訪れたのでした。それは、「悪者の死を決して喜ばれない神」が、人類に与えたチャンスでした。方向転換し、神に向き、信頼するための猶予を半時間与えられたのです。地上では、もはや大災害が過ぎ去ったかのように思える時間でした。神がひたすら願っておられることがあるのです。
わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。──神である主の御告げ──だから、悔い改めて、生きよ。(エゼキエル18:32)さらに激しい艱難がもたらす7つのラッパ、角笛(サルピンクス σάλπιγξ)が吹き鳴らされる前に、たとえ何人でも神の元へ立ち返るのを神は願っています。先の天変地異の中に、この災いは、神からもたらされたものだと人々は考えています。
しかし、はたして何人の人たちが、気づいてくれるのでしょうか? 何人の人たちが、神に立ち返り、生きることを選んでくださるのでしょうか?
7人と別のもう一人の天使
すでに7人の天使たちが、神の御前に集められ、7つの角笛が与えられ指示を待っています。すると、もう一人の別の天使が来て、青銅の祭壇の側に立ったのです。彼が持っている金の香炉は、炭火が入って香を焚くためのものです。その天使は、青銅の祭壇の所に立っていました。手に持っている香炉から出るの香の煙とともに、全ての聖徒たちの祈りを預かり、金の祭壇である純金の香壇で捧げるために近づいたのです。
天の青銅の祭壇の霊魂とは?
天使がはじめにそばに立っていた祭壇は「動物をいけにえとしてほふる」ための青銅の祭壇です。たくさんの動物がほふられ、焼き尽くされた祭壇ですが、それは十字架で人類の身代わりとなったイエス・キリストが受けた裁きの表す型でした。なんと天にある青銅の祭壇の下には、艱難期で殉教して行く聖徒たちの霊魂が集められていました。この人たちは、キリストに属する者たちが天に引き上げられた携挙の後、艱難期に入ってからイエス・キリストが救い主だと信頼する生活を選びました。
数々の災害が起こる中、誰かをスケープゴートにしたいため、災いをもたらす疫病神として、この人たちが迫害され、殉教し殺されてくのです。彼らは殺され、霊魂となった状態で天の青銅の祭壇(キリストの十字架の象徴)の下に集められていたのです。
「悪に対する正義を願う」全聖徒たちの祈りのわけは?
彼らは何も悪いことはしていません。神のことばを受け入れ、イエス・キリストに信頼していくという決心を貫いただけでした。それだけの理由で殺されたのです。子供も大人も老人たちも容赦しない大迫害の中で、目の前で家族が、愛する者たちが、殺されていくのを見てきた人たちです。その数は誰にも数え切れないほどでした。(啓示7:9)彼らの祈りがその天使にたくさんの香としてあたえられたのです。当然ながら、「悪に対する正義を願う」全聖徒たちの祈りを天使の香炉の煙とともに「金の祭壇(香壇)」の上で、神に捧げられたのでした。
彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行わず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。」啓示6:10
不公平や理不尽な扱いを受ける時、どうしますか?
この世界はたいへん不公平です。理不尽なことがまかり通っています。愛がどんどん冷えています。それに対してイエス・キリストに属するものたちは、神が正しく裁きをなしてくださるように祈り続けています。一向になんの変化もなく、悪ははびこり、悪人が栄え、罪なき人が苦しみ続けているように見えます。悪を行う者たちが潤い、善人が馬鹿にされ苦しんでいるのです。このままで終わり、この世界ですべてが終わりだとしたら、これほどの不公平はありません。
悪を見逃さず裁く方がいるのです!
この世界の法律をうまくくぐり抜けたとしても、収支をきちっと合わせる方がいます。正義の神がいます。それは、イエス・キリストなのです。義を貫くことは、神のご性質にかなう正しいことなのです。…あなたがたを苦しめる者には、報いとして苦しみを与え、苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。… IIテサロニケ1:6〜7
私たちは復讐をする必要がない
私たちが復讐に手を染めないように、復讐はわたしに任せなさいと主は言われています。愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」 ローマ12:19ですから、私たちは、自分の手も心も復讐に染めることない、新しい生き方と対処の仕方が勧められているのです。私たちはひたすら平和を保つよう努力し、常に良いことをしていれば良いのです。たとえ、だまされたままでもて良いのです。全てを見ておられる神が、正しい裁きをなさるからです。
もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。 悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。 ローマ12:20〜21
「青銅の祭壇」とは、神の裁きの場です。
人間が罪を犯した身代わりとして、かつてイエス・キリストの十字架以前においては、多くの動物がその祭壇で、殺され、焼き尽くされました。…ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。… ヘブル10:26〜27神の心を傷つけ、神のことたちを迫害し、殺人を続け、罪を犯し続ける者たちに対して、神はやむを得ず裁きを下さざるを得なくなります。
私たちの神は焼き尽くす火です。(ヘブル12:29)
青銅の祭壇は、十字架の象徴です。生贄の動物たちは、イエス・キリストを表していました。全人類の身代わりに、神の裁きを身代わりに受けてくださったのです。しかし、その救いを受け入れない人たちには、裁きが下されることになります。
青銅の裁きの祭壇の燃える火とは?
かぐわしい香りと聖徒たちのたくさんの祈りを捧げ終えると、天使は、その金の香炉に、青銅の裁きの祭壇の燃える火を満たします。それは、裁きの火です。生贄を焼き尽くした裁きの火です。地球がうなる大異変への警鐘
火は、聖書で一貫しているのは、救いではなく、裁きです。天使は裁きの火を地に投げ込みました。すると自然界に大異変が起こります。動物たちがもだえて発するうめきの声のような、地響きの音のような、地球がうなる。声、音、騒音 (フォーネーφωνή)とともに、自然界に起こる異変として、いくつもの雷鳴と稲妻そして、1つの地震がおこります。それは、これから起ころうとしている恐ろしさばきへの警鐘です。
すると、7人の天使たちは、7つの角笛を手に吹こうとかまえた。 啓示録8:6いよいよ、「神を無視し、神に属する者たちを圧迫し殺害する者への裁き」が、7つの角笛の響きとともに7段階でとなって展開されようとしています。先の封印が解かれた後にもたらされた恐るべき人災や自然災害以上の厳しい裁きが起ころうとしているのです。
しかし、どんな状況の中でも、神の愛は変わりません。
彼らにこう言え。『わたしは誓って言う。──神である主の御告げ──わたしは決して悪者の死を喜ばない。かえって、悪者がその態度を悔い改めて、生きることを喜ぶ。悔い改めよ。悪の道から立ち返れ。(エゼキエル33:11)今日もウェブチャへようこそ!
ロシア、トルコ、イラン、スーダン、リビア、イスラエルやイスラム圏やアラブ諸国、ヨーロッパや世界の国々が、あたかも聖書を読んで筋書きに忠実に従うかのように、終末に向かって動いてきています。そして、7年の艱難期へそのまま突入するのではと思えるほどの展開の速さを増して来ています。
「地球温暖化」を人類がなんとかしなければならない問題としてでっち上げ、若者たちや世界を巻き込みワンワールド、世界統一政府を作り出そうとしています。
聖書の預言は、全知全能の神が、人間たちの悪が支配する未来を予知し、ヨハネを通して私たちに伝えたのです。その目的は、私たちが未来に備えるためです。また、未来を知り伝える神の存在を知り、神に信頼して生きる人生を始めるためです。
今日も未来を意識しつつ、良い1日をお過ごしください!
宗教嫌いの私が、生まれて初めて聖書を開いて読んだのは、高一の春。今だに宗教とか、キリスト教は好きではありませんが、今ではすっかり、聖書の魅力にはまって、奥深いみことばの味わいとその力と不思議に、心温められております。
ただ真理や事実を知りたいと、化石、古生物学、天文学、考古学、歴史、預言、精神や心の世界、霊的世界、死後の世界…などと探求しつつ、いつの間にか50年以上経ちました。
専攻は地質学ですが、テキサスのパルクシー川底の同じ岩盤の上に続く、恐竜と人の足跡化石、その岩盤に立った時はかなりの衝撃でした!初代の創造科学研究会の理事の一人として、ここニュージーランドに移住するまで、日本各地で講演させてただき、また、 Masaluk(メイサルーク)のペンネームでマンガ・ジェネシスの1と2のシナリオを書かせていただきました。
1994年からオークランド日本人教会の牧会の一端を担い、2018年5月から、必要に迫られさらに多くの人に良い知らせが届くようにと、イエス・キリストを中心とするHomeチャーチ「Japanese Bible Ecclesia (J-BE)」 https://ajbe.net/ を新たに始め、現在に至ります。
このウェブチャが、現在直接お会いできない皆さんにとっても、祝福の助けになりますように!(笠原 勝)
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