ご質問がきました。天国にあんちくしょう?

ご質問コーナー
Q3、クリスチャンだって、気の合わないあんちくしょうや、この野郎がいますよね。
そいつらみんな(天国で)一緒で平和なんでしょうか?
状況が正確にわかりませんので、答えも的を得るかどうかわかりませんが、
少しでもお役に立てますように!

「気の合わないあんちくしょう」と「この野郎」はどの程の人でしょうか?
もしそのままの悪い意味で取ると、そのような人たちが集まった場所は、平和ではないでしょうね!
天国ではなくなってしまう。そんなところには行きたくないです!
さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。
神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。
『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。
いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」
ルカ17:20、21
神の国=天国について
一般的に3つの誤解があります。

1つは、「いつ来るのか?」というように未来だと考えていること。
神の国は、未来ではなく、イエス・キリストに信頼している者たちの心の中にすでに始まっている。

2つ目は、観察できるようにくるのではないこと。
あなたがたのただ中にある。
お互いの間に始まっているものです。
どのようにですか?
イエスが愛したように互いに愛し合う関係」として始まっているのです。

良い関係の輪を広げていきましょう。
一人ではなく、複数で実現!
お互いを理解し合えて、心をゆるしあえる人とともに
二人三人が集まるところで、始まっています。

3つ目は、天国とは異次元の話ではなく、
この地球上、現実の世界で実現していくものです。
「天国行ったら」とか、「天国へ行けば」と
問題を棚上げにしている場合があります。
今から、実現のために努力すべき内容もあることを、忘れては行けないと思います。

さて、私たちは基本的に問題だらけです。神との関係は整っても
未だに人間性の問題を抱えています。
「気の合わないあんちくしょう」や「この野郎」になりうるわけです。
お互いに変えられていない部分、ぶつかり合う部分を
聖霊なる神により変えていただくことができますし、変えていただく必要があります。
ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し
完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。
エペソ4:13
お互いがイエス様に似ることを目指し、キリストの満ち満ちた身たけにまで達することを目指しています。

私たちは、神の御心から外れていることの方が多いのです。
だから、聖霊なる神の助けをいただいて、お互いに変えられていく必要があります。
絶えず軌道修正して、神の御心に沿う歩みができるように努力しています。

イエス・キリストに信頼して罪を赦されたのですが、
それはスタートです。私たちの人間性は、とっても歪(いびつ)で、
自分ではいいと思っていても、結構歪(ゆが)んでいるものです。
尖っていただり、凹んでいたりです。

聖書を読むことで自分自身のゆがみに気づかせていただき、
聖霊なる神により、歪みを治していただくのです。

私の左肩はいつもコリと痛みがあります。
ある時、理学療法士の人から、肩がずれていると指摘されました。
鏡を見ると自分でたいらになるように直しているので、気づかなかったのですが、
かなりずれていました。

足の長さも違う!?
びっくりですね。
歪みを直していただいただけで、痛みが取れて、手が回る!
手がまっすぐ上に上がる!
驚きです!!

クリスチャンだと言っている人が、
少しも生活を聖霊によって変えていただこうとしないで、
相変わらず、不正をして、不法を働いて「このままでいい!」などと、開き直って、
何一つ聖霊の実を結ぼうとしないなら、
イエス・キリストとの関係は始まっていない可能性があります。

クリスチャンとは、自分で言うのものではありませんね。
言われるものです。
初めての人から、「クリスチャンですか?」と聞かれる時には、
「そう見えます?」とか「まだまだ」と答えます。

自分の嫌な人間性も、聖霊によって変えられるはずですが、
時間がかかります、完全になれなくても、
嫌な自分に気づきつつ、祈り求めつづけることがとっても大切です。
現在教会を離れている人が全て問題があるとは思いません。
残念なことに「気の合わないあんちくしょうや、この野郎」のせいで、
つまずいて行けなくなっているかも知れないのです。

あなたがイエス様につまずいているのではなく、イエス様と信頼関係を保っている中で、
「気の合わないあんちくしょうや、この野郎」のせいで、教会や集会に行きたくないと
思っているとしたら、自分がおかしいのではなく、
「そいつら」がおかしいのかも知れないと、疑うことも必要です。

そういった人たちが「的外れな生活」をして古い悪い性質のまま生き、
人々のつまずきとなっていることを気づき、悔い改められるように祈りをしましょう。
私たちも自分自身がつまずきとならないように、
少しでもイエス様に似るように求めなければなりませんね。

私たちが一時的に過ごす、7年間の天国も、その後の千年王国にも、
「気の合わないあんちくしょうや、この野郎」はいないでしょう。
キリストの愛を実践できる人たち」の行くところだからです。

現在、「あんちくしょうやこの野郎」であっても、イエス様のご再臨前までに、
イエス様につながっている者は、聖霊によりお互いに変えられるチャンスがあります。
私たちは皆変えられていく過程にあります。止まっては行けません。
止まったら後退です。
成熟を目指して進もうではありませんか!」へブル6:1
私たちは現在、イエス・キリストに少しでも似るように求め、
御霊の実である愛・喜び・平安・寛容・親切・善意・誠実・柔和・自制の実
結ぶために聖霊の力をいただいて、軌道修正する努力をし、怠ける自分と戦っています。

その実が一つもなく求めもしないで、天国に入るなら、
火災現場で火の中をくぐって、命からがら救われる人と同じ
とっても恥ずかしい思いに満たされることでしょう。 (Iコリント3:15)

イエス様の時代から始まっていましたが、
今日も、教会や集会という集まりの中に良い麦と一緒に毒麦のタネもまかれ、
毒麦も良い麦といっしょに生えている状態です。
「そいつら」というのがイエス様が警告したニセ教師であり、ニセ預言者であり、
ニセ信者
であるなら、彼らは、天国に入れません。

イエス様を救い主と受け入れたのちに、苦しい試練の中で、
「神様はいるのか?」と、もがき苦しみ、悩みの中にある人は、
イエス様から離れているのではありませんよ。

むしろイエス様につながっているのです。悩んでいることをイエス様はご存知です。
安心して祈り、助けを求めていきましょう。
試練もあなたもイエス様の手の中にあります。

 
今日もウェブチャへようこそ!
 
たいへん興味深い話題でした。お互い不完全で欠けだらけですから、
励ましあって、「キリストの愛の実践」を心がけていきましょう。
恵みが満ち溢れている時に、お互いに成長できますように、
祈り支え合っていきたいものです。
ご質問がありましたら、右下の「お問い合わせ」より、メールください!

今日も良い1日をお過ごしください!
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