三位一体の神(3) 聖霊

三位一体の神
前回の続きとなりますので合わせてどうぞ。
三位一体の神(2) 唯一で三人の独立した実体
前回の続きとなりますので合わせてどうぞ。 2. 神は唯一(エハッド)だけど、同時に三人の独立した実体、人格である 一人の人間が、父であり、子であり、兄弟であるという三重性ではありません。三つの独立した実体が存在しています。 (1)...

前回は三位一体の独立した三者の実体について、父なる神と子なるイエス・キリストについて学んできました。今回はもう一人の実体である聖霊について聖書から学んみたいと思います。

(3) 聖霊なる神

神秘的な力でも、非人格的な存在でもありません。エネルギーでも、力でもありません知性も感情も意思も持たれた神と同質の神です。父なる神と子なる神とは別の実体である神です。でも唯一(エハッド)の神です。

聖霊は神と共に同じ力と能力と権限と神性を持っておられます。聖霊がエクレーシアのリーダーを立てられ任命します。
エクレーシアは「神(イエス・キリスト)がご自身の血をもって買い取られた」のです。そして、エクレーシアは神のものです。
あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神(イエス・キリスト)がご自身の血をもって買い取られた神のエクレーシアを牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。使徒20:28
聖霊は人格(神格)を持たれた神ですから、信頼関係を結ぶことができます。逆に裏切ることも、欺くことも可能となります。「聖霊を欺く事」=「神を欺く事」です。つまり、「聖霊」=「神 」なのです。
そこで、ペテロがこう言った。「アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。 それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」 使徒5:3〜4
父なる神は、聖霊によって啓示された66巻の聖書を私たちに与えてくださいました。聖霊は、全知なる神です。知性と意思を持って全てのことを探り、神の深みにまで及ぶことができる全知なる能力をお持ちです。
神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。 いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神の御心のことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。 Iコリント2:10、11
サタンも堕天使(悪霊)も神の側の天使も偏在することはできません。時間空間に制限されています。しかし、聖霊はどこにでも、時空を超えて偏在できる神です。そして、聖霊が存在されるところに神もともにおられます。
「私はあなたの御霊から離れて、どこへ行きましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみにとこを設けても、そこにあなたはおられます。詩篇139:78
聖霊は、天地万物の創造に関わった創造の神です。
特に地球を球体として形創るために、バラバラになっている物質の大元(エレツ)に膨大なエネルギーを与え凝集させました。また、地球となる成分の全ての元素を作りあげ水を合成し、水球の地球を作り上げました。さらに波動のエネルギーを与え続け、地球を温めていたのは聖霊なる神でした。聖霊は全能の神です。

水の上を「動く」と表現されていますが、ヘブル語ラカフ רחף は「震える」、ホバリングしているヘリコプターの振動が伝わってくるように、波動のエネルギーを水球の地球に与え続けていたのです。雌鶏がひなを抱きかかえるように、やがて神のかたちに似せて造られる人間の住処としての最適な環境を、聖霊なる神が注意深く用意されていたのです。
物質(エレツ)は混沌として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。 創世記1:2
聖霊は感情を持たれています。私たちの内に住まわれる聖霊は、私たちが悪い言葉を使うとき悲しまれます。無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどのいっさいの悪意を捨て去るように願われています。そして、私たちが親切にしたり、優しい心の人となることを喜ばれます。具体的にはキリストに赦された赦しを土台として、互いに赦し合い、互いに愛し合うことを喜ばれるのです。
神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。 無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。 お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。 エペソ4:30〜32
聖霊は助け主であって、しもべや召使いではありません。「助け主」とは、パラクレートスπαράκλητοςというギリシャ語です。パラ「傍らに」前置詞+クレートス「呼ばれたもの」合成語です。私たちと「同じ側に立って、弁護をし、慰め、執成し、助けるために呼ばれた者」で、「弁護士、助け手、仲裁者、カウンセラー、助言者、代弁者、主唱者、慰め主など」と訳されています。
わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
ヨハネ:14:16
「霊」はギリシャ語でプニュウマπνεῦμαは中性名詞です。ある宗教団体は、だから、非人格的な存在だと言いますが、ここでもう少し注意して読むならば、それに関連し受ける「他の」も「助け主」も男性形です。
イエスは、非人格的な霊ではなく、人格を持つ方としての聖霊について話しているのです。イエスが、父になったり、聖霊になる仮面をかぶるのでもありません。イエスは、父にお願いし、父は聖霊を与えてくださるのです。

「もうひとりの」アッロスἄλλοςとは、イエスご自身と比べて「個々の区別はありますが、同種同質の」 助け主(ヨハネ14:16)という意味です。へテロスという「全く別の質的相違の」という意味の単語を使いませんでした。イエス様同様のもう一人の助け主が聖霊なのです。

助け主としての聖霊が弟子たちに来るまでには五旬説を待たなければなりませんでした。それが七つの主の例祭に表された神のマスタープランだったからです。それを裏付けるように、イエス様を通して父の約束が示されたのです。ここで勘違いしがちですが、大事なのはイエス様の代理として聖霊がくるのではないという事です。

イエス様が十字架の後ハデスにくだられた間も、また復活後の昇天からペンテコステまでの間も、イエス様が弟子たちから離れている間に、聖霊は来ていませんでした。

また、イエス様は天に戻られ引退後を聖霊に任されたわけでもありません。イエス様は十字架の大業を成し遂げられた後も、決して引退されていません。むしろイエス様は今も父と共に働いておられるのです。

イエス様は今も現役で、聖霊とともに私たちに内在され、聖霊とともに働いてくださっているのです。
イエス様が助け主であり、聖霊も、もう一人の助け主なのです。つまり、私たちには、イエス様と聖霊様の助けと天使の守りという全く持ってありがたい三重の守りの中にあるです。

聖霊は聖書の理解を助けてくださいます。
…助け主、すなわち、わたし(イエス・キリスト)の名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。 ヨハネ14:26
そして、聖霊はイエス様への理解を助け、イエス様を伝えていく力を与えてくださいます。
わたし(イエス・キリスト)のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。ヨハネ15:26
 
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私たちはなんという恵まれた祝福の中にいることでしょうか!色々な不確かなご利益を求めて宗教に頼ったり、スピリチャルなんちゃらにお金をつぎ込む必要は全くありません。お守りも札もパワーストーンも不要です。イエスによる救いはタダです。今日からでも、この祝福の中に入ることができます。

「イエス様、あなたが救い主だと、私はあなたに信頼します。神様、イエス様を送ってくださってありがとうございます。」そう心から信頼して万物の創り主に向かって祈ってください!助け主なるイエスと聖霊とあなたに仕える天使の祝福が始まります。

今日も助け主の助けをいただいて良い1日をお過ごしください!
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