ご質問:人は心を見張りきれるのか? 箴言4:23

ご質問コーナー
ご質問がありました。ご一緒に考えてみましょう。
”神様は何故、箴言4:23で「心を見張れ」と言ったのだろう、人は心を見張りきれるのか?

この聖書の箇所を引用してみます。
わが子よ。私のことばをよく聞け。私の言うこと耳を傾けよ。それをあなたの目から離さず、あなたの心のうちに保て。 見いだす者には、それはいのちとなり、その全身を健やかにする力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく 箴言4:21〜23
ご質問は結構見落としがちなポイントをついた着眼点だと思います。

1.「心は見張りきれる?」のか?

私も改めて調べ、考えて見ました。「人は心を見張りきれるのか?」と問われると、「心」そのものが曖昧なことに気づかされました。また、日本人的には「心」というと、感情や情緒面を問題にしますので、感情を見張りコントロールすることなど無理だと私は思います。

なぜなら、喜怒哀楽や感情の起伏など、絶えず変化し変わりやすいものを「心」として見張れと言われるなら、「ではどうやってやって見張るのか?」と質問したくなります。はたしてできる人はいるのでしょうか?

それはよちよちと勝手気ままに動き出した子供から目が離せないのと似ています。絶えず危険はないかと気を配り、子供の必要に応えるながら、見張り続けるようなものです。あるいは、要求ばかり出し、わがままし放題の囚人を見張る看守のようなものかもしれません。そんなことで毎日を過ごし、人生が終わるとしたら、どちらが囚人かわからなくなってしまいます。

2. 見張るのは「心」ではない

「力の限り、見張る」のは「心」ではありません。わたしたちが「力の限り見張る」のは変わりやすい「心」ではなく、たとえ天地が滅びても変わることのない「神のことば」です。
私のことば」「私の言うこと」それは「神の言葉」です。「神の言葉」から目を離さず、私たちの心に「神の言葉」を保つことが求められています。

3.「心」とは?

箴言や聖書が「こころ」といっているのは「思考」や「考え」という面も含めています。「心」 ヘブル語のレーヴ לבは感情や情緒よりも mind やwisdomに関わり、知性や理性や論理的な意味合いが強い言葉です。もちろん感情も含めてですから、文脈から何を指しているのかを読み取ることが大事です。

「思考や考え」を司る「心」は、日本人的には「頭」でとなるでしょう。「頭」はどこかといえば、「頭」を差しますが、「心」とはどこですか?というと困りますね。実は質問自体が愚問です。見えないものは、場所が特定できません。心というと胸をさす人、頭をさす人と色々でしょう。ユダヤ人はお腹をさすようです。
【主】は、地上に人の悪が増大し、その心(レーヴ לב)計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。創世記 6:5
「心で計る」とあるように、ノアの大洪水前の人々の「心」は、「いつも悪いことだけに傾く」状態でした。つまり感情の問題ではなく、彼らの「思考や考え」の傾向の問題でした。
また、イエス・キリストが人々に指摘した罪に関する「心」は、感情よりも「思考や考え」についてです。
内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、 これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。 マルコ7:21〜23
これらの内側である「心」から出てくるものは、考えたり、思考することから出てくる問題です。悪に関わる「心」はそれに関する「思考や考え」がなければ出てこないものとも言えます。

4. どうやって「神のことば」を見張り「心」に保つのか?

(1) 神の御言葉(みことば)をよく読み、そこから神の御心を理解すること

それは、知性や理性や論理的な作業です。感覚やフィーリングではなく、聖書をしっかりと文脈や聖書全体から正しく読み、理解することから始まります。聖書を読んでも感動しないとか、感情を問題にしている人がいますが、契約書を読んで感動するかどうかというようなものです。契約書の内容がわからなければ、感動もありません。

たとえば契約書の内容が、あなたが億万長者になるという相続に関することだとわかり、「これが私に!」と受け止めた時に、はじめて踊り上がる感情となるようなものです。感情というのは後から出てくるものです。

「神のみことば」はいのちとなり全身の健康につながる不思議な力を持っているのです。この健康ブームの昨今ですが、「神のことば」に注目する人は少ないようです。あなたの内面から働きかけて、「全身を健やかにする」という祝福をもたらすのが、「神のことば」です。毎日食事を欠かさないように定期的に聖書を読んだり、親しんでください。結果が出ます!

(2) 自分の考えより、神の考えに合わせること

自分の視点ではなく、神の視点で物事を見ることです。神のみこころは何かと、自分の考えではなく、神に合わせることです。パウロも心の問題を取り上げています。
この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えていただきなさい。ローマ12:2
パウロが言っているのも自分の意志で一新できる「心」です。つまり、「思考や考え」としての「心」です。「神のみこころは何か?」と考えるのです。そのためには、神の「心」が示されている「神のことば」を「聞く」ことが前提です。

聖書を読むことで、「何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのか?」がわかるのです。聖書を読むことを通して、神が聖霊を通してあなたに語りかけるのを「聞く」のです。「読む」と同時に「聞く」ことが大切です。聖書通読は大切ですが、読みながら注意深く神の語りかけを「聞く」ことがとっても大切と思います。
しもべは聞きます。主よ、お語りください!」(I サムエル3:9)

(3) 神の言葉を思い巡らし、蓄え、記憶する味わうこと

神様はどう言っているのだろうか?何を伝えようとしているのだろうか?何を私に願っているのだろうか?思い巡らすことです。反芻することです。

5.「あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」

聖書を読み正しく学ぶことを通して、あなたの思考や考えを、神の「心」と合わせるようにするのです。結果的に心を守る事になるのです。

勤勉さ (ミシュマールמשׁמר)を持ってあなたの心を守れ」と言っているのであって、単に「見」守る事ではありません。勤勉に毎日神のことばを読み聞き、理解できるように祈り求め、神の心にあわせる努力(心の一新)に努めて、思い巡らし記憶していくことで「心を守る」のです。

「いのちの泉」はどこからわきますか? あなたの干からびた心からは何も出てきません。
神のみことばが干からびた心に蓄えられることで、聖霊をとおしていのちの泉がわく事になります。そうです。心ではなく、神のみことばが泉の中心となって湧き出るのです。それは聖霊の働きです。あたかもあなたの心から湧き出るように。
わたしに信頼する者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」 ヨハネ7:38
泉の源は聖書です。「聖書が言っているとおりに」です。聖書がなんと言っているかわかっていないと、結果もわかりません。そして、いのちの源であるイエス・キリストとつながっていることが前提です。あなたは渇いていても問題ありません。水源であるイエス・キリストとつながっているなら、絶えず「いのちの生ける水」が供給されるのです。
しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
ヨハネ4:14
「私が与える水」は神のみことばです。

そして、その「神のことば」を通してあなたを変える働きは、聖霊の働きです。自分で自分を変えることはできません。変わったかのように見せかけることはできます。ふりもできます。パフォーマンスもできます。しかし、自分を変えていただけるのは、聖霊の働きです。
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿変えられて行きます。これはまさに、御霊(聖霊)なる主の働きによるのです。 IIコリント3:18
自分で自分をなんとか変えようとしている人たちが多く悩んでいます。外側からの見栄えを変えるのではないのです。「クリスチャンらしく」「神の子らしく」を求めている人もいますが、それは目標ではなく、結果です。むしろ、私たちがフォーカスするのは、イエス様です。私たちが努力することは、神のみことばをしっかり聞き理解し心に蓄えることです。あとは、聖霊があなたを変えてくださるのです。

今日もウェブチャへようこそ!
自分でなんとかしようとすると、力が入るだけで、空回りしていたり、前よりも悪くなったりしていることが多いです。自分ではどうにもならないと完全降伏から始まります。「私の霊は貧しい、渇いている、全く欠乏状態にある!」「自分ではどうすることもできない!」そこから真のスタートが始まります。

その自覚があって、神の言葉を聞き始めると、渇いた心にみことばが染み渡ってきます。渇いた井戸に水を注ぎ「呼び水」をするように、イエス様の言葉をどんどん注いでください。
神のみことばを見張ることが、勤勉に心を守ることにつながります。その結果、みことばを中心として心からいのちの泉が溢れ出し、自分ばかりか、周りの人も癒す事になる、そんな人生を始めていきましょう!

今日も良い一日をお過ごしください!
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コメント

  1. 応為 より:
    新改訳2017の訳ですが、
    旧版で〉力の限り、見張って、あなたの心を守れ。となっている所が
    〉何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。
    となっています。”力の限り”抜けるので力強さが弱まりますね。次の24節も、
    〉偽りを言う口を→〉曲がったことを言う口を
    〉曲がったことを→ゆがんだことを
    〉切り離せ→遠ざけよ
    と、かなりニュアンスが変わっています。
    日本語訳をそこまで追求しても仕方ないのかも知れませんが、blogに取り上げられる重要な聖句が、改定される度に徐々に力を失っていく気がしました。
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