啓示録1章1、2節 主に愛された◯◯◯

啓示録(黙示録)

1 イエス・キリストの啓示、
これは、神が彼(イエス・キリスト)のしもべたちに示すために、彼に与えたもので、
すみやかに確実に起こるべき事がらである。

すなわち、彼(イエス・キリスト)は、彼の天使を送り、彼のしもべヨハネに伝えられた。

2 この者(ヨハネ)は、神の言葉とイエス・キリストの証しと、
彼の見たことの全てを伝え証言した者である。

啓示(ἀποκάλυψιςアポカルプシス) とは、
「隠されていた事を啓(ひら)き示すこと。覆いを取り除く、秘密を解き明かすこと。」
中国訳聖書から「黙示」を採用したが、この書を読めば、黙示というのは間違いであると分かる。
「はっきりと言わず暗黙のなかに意思を表示している」のではなく、
封印は解かれ、旧約の預言者にも知らされなったことが、明らかにされている。

ヨハネは、ゼベダイの子で、ヤコブの兄弟、12弟子の一人として、イエスのそば近くにいつもお供し、
食事の時には、イエスの胸に寄りかかれる位置に陣取っていた。
「主が愛された弟子」と自らを称しているほどイエスの愛を理解していた。

私たちも自分のことを「主が愛された弟子」と言ってみたらどうだろう。
なんともこそばゆいというか、
不釣り合いというか、
おこがましいというか・・・
しかし、事実、主は私たちをご自身の命に代えても
愛してくださっているのだから、

「主が愛された〇〇◯」ということが許されている。
だから、主の愛を疑うのでなく、
むしろ、胸を貼って、
「主が愛された〇〇◯」と言ってしまおう。

ヨハネ「の」黙示録かと誤解されがちだが、ヨハネ「の」ではない。
ヨハネが考えたことでも思いついたことでもない。
ギリシャ語テキストの書き出しにあるように、
「イエス・キリストの啓示」であり、
神から発信されている。

ヨハネは著者ではなく、記者であり、
時空をかけるユダヤ人ジャーナリスト。
文法や語法がヘブライ的ではあるが、ヨハネにとっては、
当時の世界ではまだ存在しない、
見たことも聞いたこともない、
まして単語すらない未来の事象を見せられたままを伝えようとする。

当時公用語となっていたギリシャ語は、ヨハネにとって第二外国語であるが、
おりもよく文法的に一番整えられていた時期を迎えていた。
その完成されたギリシャ語を駆使して、
なんとか文字にして、後世の私たちに神の啓示を伝えようとしている。

わかりづらいとか、なんだかわからないと誤解され
読まない理由にしないでほしい。
啓示録を読ませないことが、サタンの策略にはまることになる。
難解だと思わせ、信ぴょう性を疑わせ、
「サタンの滅亡が書かれているこの書」を読ませないようにしている。

そして、
人類をサタンと堕天使どものために用意されているゲヘナ(地獄と一般的に言われている)に
人類を一人でも多く、道連れにしようとしている。マタイ25:41

ゲヘナにはまだ、誰も落とされていない!
空っぽだという事。
日本人が知らされている地獄とゲヘナは同じではない事。
など、そのうち書いていきます。

AD79年ごろのヨハネが、未来を見せられて、
当時のごく限られた言葉を
駆使して書いたものだと理解したなら、解けてくる。

だから2Dを3Dに変換し直し、
言葉を映像に戻し、
未来の、そして、現在の何を表現しようとしたのかを、
聖霊を通して見させていただくなら、どんどん見えてくる。
頭を柔らかくして、大いに想像力を豊かに働かせて読んでみよう。

イエス・キリストの証言
「証言」は「殉教する」の名詞形マルツリーアであって、
単なるレポートでなく、命をかけた証言である。
そして、伝えられたヨハネも、命をかけて伝え証言している。
したがって、私たちは命をかけた真実な言葉として、
しっかりと受け止めていきたい。

旧約聖書の預言者たちにも隠され、封じられ
理解されなかった内容が、
この啓示録で、あきらかにされる。

「すみやかなのに?1900年も経っているじゃないか?」
そう思わないでいただきたい。
すみやかに(τάχος)タークォス」とは、
量的な時間ではなく、質的な時間をあらわしているので、
時が来たなら「すみやかに」実現するという意味で使われている。

何よりも、終わりの日が近づくに連れて、
内容は、更に、なにを意味しているのかが明確になって来ている。
今まさにその時代に突入し、

まさに「その時」が来ている。

今日もウェブチャにようこそ!
これから聖書も共に学びあいましょう。
その助けをウエブチャでさせていただきます。
本当にワクワクします!
祝福を祈ります!


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