啓示録1章3節 なんとうらやましい、祝福された人

啓示録(黙示録)
啓示録1:3 なんとうらやましい、祝福された者よ!
その預言の言葉を朗読する者と、その言葉を聞く者たち、
そして、その中に書かれている事柄を守り、
注意深く見張り続ける者たちは!
なぜなら、定められた時は、間近に迫っているからだ。
「イエス様を信じたのに、どうして?
物事がうまく行かない!望みがかなえられない?」と、
文句、つぶやき、不平、不満が・・・

イエス様との関係ではなく、キリスト教をやっている。
イエス様を偶像、お守り、御利益宗教として利用している。

「祝福」とは、御利益ではない。
マカリロオスμακαριος祝福の流れは、

神ファーストであって、私ミーファーストではない。
自分を優先した時、祝福の流れはストップする。
祝福は、神のみこころが優先!
神の御心に沿ったことは、必ず実現する。
神の契約も、神は約束され、そのとおりに実行される。
神の預言も、ご計画通りに、時が来たなら成就する。

[啓示と祝福の流れ] 神→ イエス・キリスト → 天使
→ ヨハネ → 朗読者 → 聞き、守り留まり、注意深く見張る者
神が祝福すると決めたなら、変えられることはない。
神のみ心に沿うように、自分を変え、あわせることが大事だ。

「祈ってもかなえられない!」
その祈りは、神のこころに沿っているのかな?
「わからない?」
神のみこころを知るには、
神のこころが啓示された聖書を読むこと。

必ずかなえられる祈りがある。
「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、
神はその願いを聞いてくださるということ、
これこそ神に対する私たちの確信です。
私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、
神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。」 第1ヨハネ5章14、15節

現代のように聖書が簡単に手に入る時代ではない。
印刷技術もない、写本を作るのに長い時間を要した。
聖書を読める人は、多くはなかった。
聖書を手にして読める人は、
なんとうらやましい祝された人だろうか!

聖書を朗読する事で、多くの人が神の心を理解できた。
子供たちやご老人のために、聖書を読み聞かせ、伝える奉仕は尊い。
おなかの赤ちゃんにも!神の祝福の流れである。
聖書の朗読と、勧めと教えに専念しなさい。」Iテモテ4:13

聞くだけでなく、神のことばにとどまる事は、さらに祝され、祝福を味わう。
それは宝石の「瑪瑙(めのう)」を獲得するようだ。
ヨハネは「瑪瑙」をちりばめている。

ギリシャ語メノー(μένω)「とどまる、滞在する」はヨハネの愛用のことばだ。
わたし(イエス・キリスト)にとどまりなさい(メノーのアオリストの命令形)。」ヨハネ15:4

つまり、人生のある時点で、自分の意志で、
「私は、イエス・キリストに信頼し、留まり続ける」と決定すること!
すると、ありがたいことに、
イエス様も、私の中にとどまると決めてくださる!
ぶどうの木に接ぎ木された枝のように!

人生のある時点で、そのように決心していないなら、今、決心したらいい。
1度決心したなら、イエス様との関係は、変わらない。
しかし、ずっとご無沙汰だと、幹とのつながりは、かなり細くなっているかも。
今までの自分を神に正直に申し上げたら、回復される。
神は農夫として、折れかかって、垂れ下がり、
土にまみれた枝を、優しく持ち上げ、
実を結ぶように幹にしっかり繋げてくださる。

私たちがつながり、滞在し住み込むところは、
イエス・キリストの中だ。
私は、イエスの言葉の中に住む。
私は、イエスの愛の中に住む。
私は、イエスの喜びの中にとどまる。
そうすると、やがて実を結び、実がとどまる。

これが祝福!

定められた時(カイロスκαιρός)は、間近に迫っているから。
そして、確実に時(クロノスχρόνος)は、時(クロノス)の流れを刻んでいるのだから。
啓示録に書かれている事柄を守り、
どのように預言が実現していくかをテーレオー(τηρέω)注意深く見張り続けていこう。

今日もウェブチャヘようこそ!
みことばの学びの祝福が豊かにありますように!
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