死んだ人々の霊魂に福音が宣べ伝えられた事実

聖書、救い

死んだ人々の霊魂に福音を宣べ伝えられた?

彼らは、生きている人々をも死んだ人々をもすぐにもさばこうとしている方に対し、申し開きをしなければなりません。というのは、死んだ人々にも福音が宣べ伝えられていのですが、それはその人々が肉体においては人間としてさばきを受けが、霊においては神によって生きるようになるためでしたIペテロ456

死んだ人々」に「福音が宣べ伝えられていた」とは、生きている時にどなたかが、福音を宣べ伝えてくれたということでしょうか?しかし、福音を伝えられなかった人もいるはずですが、どういうことでしょうか?「宣べ伝えられていた」というのは適切ですか?(後述)

生きている人々」とは実際に生きている人です。「霊的に生きている人々」という意味であるなら、神様とつながっている救われた人たちですから、裁かれることはありません。したがって、5節の「生きている人々」とは、肉体的に生きている人々のことを言ってます。ただし、裁かれる可能性があるままですから、イエス・キリストの救いをまだ、受け取っていない人たちを指しています。

したがって、前半の「死んだ人々」とは、すでに亡くなられた人たちのことです。肉体的に生きているけれども「霊的に死んでいる人々」という神様と生きた関係がない人々のことではありません。後半の「死んだ人々」も、5節からの続きですから、「生きている人々」との対比で、すでに亡くなられ救いを受けていなかったために、霊魂となってハデスに行っている人々のことです。

死んだ後にさらに裁かれる?

今生きている人も、亡くなってハデスにいる霊魂たちも、もし救われないなら、ともに「白き大いなる御座の前で裁かれる」時が近づいていると、前半で伝えています。

「どういうことでしょうか?死んでハデスで苦しんでいるのに、その上まだ裁かれるのでしょうか?」その通りです。ハデスは、最終的な裁きの後、報いを受けて行く永遠の苦しみの場所であるゲヘナでもHell(ヘル)でもありません。白き大いなる御座の裁きの時まで、待機させられている場所なのです。

ゲヘナは永遠の苦しみの場所ですが、ハデスは一時的ではあっても、苦しみの場所です。その上、最終的な裁きをなさる方に、自分の行いの全てを申し開きをしなければならない時が、すぐにも来ると聖書は警告してているのです。

「生きている人々も死んだ人々も、裁かれる方」

また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。啓示録201112

最後の審判」とよばれる、神の裁きの時が迫っています。聖書の予言に書かれている神のスケジュールによるなら、まもなく7年の患難期がはじまります。そして、その後半の、神が定められた時に、「イエス・キリストを救い主として信頼するなら救われる」という「恵みによる救いの期間は締め切られます。ハルマゲドンを経て、この地球上での千年王国の後、最後の審判が開かれるのです。

救われていないすべての人々が、大きな白い御座の前に出されます。「生きている人々」も、「ハデスにいる死んだ人々」から引き出されて裁きを受けます。霊魂状態であった者に「体」が与えられて、裁きの座の前に出されるのです。神のあわれみと恵みを無視し、イエス・キリストをこばんだ人たちは、どのように申し開きをするのでしょうか?

神であるイエス・キリストが人となり、人類が救われるようにと身代わりとなって十字架で裁かれたのですから、イエス・キリストの救いを拒否した罪が、一番重い罪となることでしょう。

「いや、私は知らなかった。」「イエス・キリストの救いなんて、聞いたこともなかった。」「その時代には生きていなかった。」「私はお寺で生まれて」などと、だれ一人、言い訳ができなくなるのです。なぜでしょうか?

ハデスにいる死んだ人々の霊魂にも「福音が宣べ伝えられた」から

「ハデスにいる霊魂は皆、救いの福音を聞いたのですか?  どうやってですか?  福音を聞いていない人たちもいるのではないですか?  イエス・キリストが生まれる以前の人は知らないはずですよ。イエスの時代でも、福音が伝えられていない国がほとんどですよ。 日本人が救いの福音を聞いたのは、かなり後でしょう?」

最後の審判の時点では、すべての霊魂が、「イエス・キリストによる救いの福音」を聞いているのです。なぜでしょうか?「死んだ人々にも福音が宣べ伝えられた」からです。イエス・キリストが十字架の受難の後、霊魂の状態でハデスに直行され福音を宣べ伝えられたからです。したがって、全ての霊魂が、イエス・キリストを通して与えられる救いの福音を聞いたのです。だれ一人「私は聞かなかった。」という人は、いないようになります。

「福音が宣べ伝えられていた」という不特定多数による様々な時代における宣教ではなく、イエス・キリストがハデスにおいて「福音を宣べ伝えた」という過去のある時点の事実を表しています。ギリシャ語独特のアオリスト時制です。アオリスト(不定過去)時制は、「過去に起こった事実を述べる時制」です。エウアンゲリゾーεαγγελίζω「福音を伝える」のアオリスト時制の受動態で「福音が宣べ伝えられた」という過去の事実を述べる訳が適切です。

死んだ人々は、肉体においては人間としては裁きを受けた

ハデスにいる霊魂たちは、生きている時に福音が伝えられた人もいますが、そうでない人々がたくさんいるのです。「その人々は肉体においては人間として裁きを受ける」の「受ける」もアオリスト時制の受動態です。したがって、「人間として裁きを受けた」が適切です。この地上での裁判官による裁きのことだけではなく、「罪の支払う報酬は死である。」と書かれている通り罪の結果の死という裁きです。

罪から来る報酬(当然の報い)は死です。しかし、神のくださる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。ローマ623

つまり、「裁きを受けた」とは、人間として肉体の裁きである「罪の報いである死」を受けたということです。この「死」とは、死んだという一瞬の出来事ではありません。死んで霊魂となり、ハデスでの苦しみを経験しているという報いも含まれているのです。

それは、神からのプレゼントである「永遠のいのち」との対比でもわかります。「永遠のいのち」は死んでも生きているというだけではありません。通過点ではないのです。ちょうどプレゼントをもらった時点で喜びますが、包みを開いてプレゼントがなんであったかを知って、さらに喜びが続くのと似ています。

現在、神様は全人類に賜物(プレゼント)として主キリスト・イエスの永遠のいのちを与えてくださっているのです。あなたはもう受け取っていますか? まだでしたら、今、受け取ってください。プレゼントですから、喜んで受け取るだけで良いのです。

「永遠のいのち」を生きている間に受け取っている者たちも、肉体においては死にますが、死はなんの害も及ぼしません。一瞬の通過点です。霊魂はすぐにイエス・キリストの元へ向かうのです。それが救いであり、神の与えてくださっているプレゼントです。死後のハデスの苦しみを体験する事なく、天に移される「永遠のいのち」です。ぜひ、受け取って「永遠のいのちの喜びを体験する者となってくださいますように祈ります!

今日も良い1日をお過ごし下さい。

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コメント

  1. 応為 より:
    今までのblogとも合わせてじっくり読ませて頂きました。
    確かに聖書を素直に読めば、イエス様が再臨される時には、全ての人に福音が伝わっている必要がありますよね!
    マタイ24:14『御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての民族に証しされ、それから終わりが来ます。』は、生きている人のみを指しているのでしょうか。”全世界”は直訳すると“人の住む地すべて”と注釈にありますから…。そうだとすると、

    >最後の審判の時点では、すべての霊魂が、「イエス・キリストによる救いの福音」を聞いているのです。

    こちらの根拠としてはやや薄く、ハデスでのケールッソーκηρύσσωが、確実に霊魂たちにも”福音を伝えた”のだと言い切る必要がありそうです。
    その点は、以前の記事『復活(5) 復活の3日目まで ハデスでケールッソー』で、60箇所のケールッソーの検証を勧めて下さいましたので私は確実だと思っています。

    ・”世界”と使われている箇所を引くと、ヘブル2:5”来たるべき世界(2017年度版:来たるべき世)”として使われている言葉も同じ言葉のようです。


    ・直接関係ありませんが、第3版でも2017年度版でもⅠペテロ4:7は『万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。』とあります。
    KJVは『But the end of all things is at hand:be ye therefore sober,and watch unto prayer.』なので、”祈りの中で注意深くありなさい”的な感じだと思うのです。
    細かい事ですが、ちょっとニュアンスが違いますね。

    いつもありがとうございます!!
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