死は終わりではない。でも地上の別れが…

聖書からのスピリチュアルライフ

ずっと祈りのうちにあった人

本日8月5月2時10分に召されました。(当日ここまで書き始めてから、しばらく何も書けませんでした。書く気力すら全くなかったのです。)

昨年5月に知り合った時には、すでに癌のために闘病生活をされていました。闘病中でありながらそうとは思えないような明るいタッチの彼女のブログに快方に向かっているかのように思っていた人も多いかもしれません。今は、携帯を見るのもやっとです。

彼女の情報量によって助けられた人も多くいるようです。私もその1人です。個人のブログだけでなく、他の一般的なサイトへの投稿記事もあったからです。私もNZでつい困った時には、開いてみるサイトでしたから、彼女が情報を提供していたと知ってびっくりしました。

抱えているものの大きさ

息子さんのことでご相談を受けたことがありました。

同時に彼女が抱えている問題の大きさに、何もしてやれない無力さを感じました。

今年に入り、体調があまり良く無いとお聞きして、お見舞いに伺いたいとAさんと関わっている方を通じて伺ってみましたが、

なかなか実現ならず、お会いできたのは容態が急変してホスピスに入院されてからでした。

その時には驚くほど回復されて、お話しすることができました。

といっても、励ましの一般的な話です。でも、直接お会いしたのはその時が初めてでしたので、十分な励ましもできないまま、どんな励ましができるのだろうと考えつつ会話に入っていましたが、

私が伝えたかったことはもっと別のこと

私としては何もできないで、肝心なことを伝えないで、時間だけが過ぎ、彼女が疲れないように退室しました。

せっかくのチャンスを無駄にしてしまったようで、なぜ、この時伝えなかったのかと、

悔やまれ、次はいつ行けるのだろうか。その時にはどんな励ましを伝えられるのだろうか?

思い出すごとにAさんのために、祈りつつ過ごしました。

周りには、たくさんの支える人たち

Aさんの人柄なのでしょうね。

容態が悪化したことを知って遠くから駆けつけ、日本の和菓子や、彼女の食べたいものを手作りして持って来られる方々。

もしもご家族に何かあったら、息子さんを引き取ると約束され手続きをされている方。

彼女の周りは、支えて励ましてくれるとても真似できないほど暖かい方たちに出逢うこともできました。

容態が急変して

一昨日、具合が悪くなって食べ物もほとんど食べられないと伺いました。しかし、予定が詰まっていて、尋ねることができたのは、月曜日の11時でした。今度こそ伝えたい、そのタイミングが備えられますように。一切の妨害から守られますように。

閉ざされているドアをノックし、中に入るとご主人が手を握りしめ、ベッドのかたわらで心配そうに顔をのぞき込んでいます。息子さんも同室にいます。苦しそうに肩で息をしています。話ができず、目も閉じたままの状態ですが、わたしが来たことを告げると、口を動かそうとしてわかってくれたようでした。

ご主人の傍に腰掛け様子を伺うと、食事はもちろん水も飲めない状態で、スポンジで口を湿らせるぐらいだとのこと。そして、「きょう、逝くかも」と力なく答えくれました。深い悲しみとともに、看病の疲れが出ている様子が痛いほどに伝わってきました。

何を切り出したら良いのか?

ご主人も、話してやってくださいと言われるのですが、言葉が無いのです。とっても寒い病室の外の様子や日本の様子を伝えても、そんなことはどうでもいいと言われてしまっているようでした。やっとの思いで、

Aさん、何かしてやれることはありますか?やり残していることはありませんか?」

「・・・」

すでに、答えることもできず、手を握り返すこともできないのです。

彼女の暖かい右手をさすりながら、

「神様はあなたのことをとっても愛していますよ。

  神様の待つ天国に行きましょう。

  何の心配もいりませんよ。」

「・・・」

あなたが、天国に行けるように、

   「Aさん、イエス・キリストが十字架でAさんの罪の刑罰を身代わりに受けてくださったのです。

  イエス・キリストがあなたの救い主だと信頼してくださいね。

  息子さんやご主人ともまた再会できますよ!」

「・・・」

私も、言葉がスラスラ出てきたわけでもありません。言葉を考えると、口に登る前にあれこれ変更されるのです。彼女の顔を見ていると、なかなか適切な言葉が見つかりません。

「Aさんとご家族のためにお祈りしてよろしいですか?」

「・・・」

「天地万物をお造りになった神様、

  あなたがAさんをとっても愛してくださっていることを感謝します。

  イエス・キリストをAさんの罪の身代わりに裁くほど

  Aさんを愛してくださりありがとうございます。

  どうぞ、Aさんとご家族をお守りくさい。

  Aさんがイエス様を救い主だと信頼して、息子さんやご主人とも再会できますように!

  Aさんを最後まで支えてやってください。

  イエス様のお名前を通して祈ります。アーメン」

祈りを終えると

ほぼ同時にドアが開き、女性のドクターが入って来ました。そのため、退出を余儀なくされました。十分とは言えませんが、良い時間を与えていただけたように思います。まさに、用意されていた時間でした。

ターミナルケアの状況の中で、感じたことは、

自分の絶望的な無力感でした。

圧倒するような死の力、悲しみでした。

何もしてやれない。励ます言葉が見つからない!

そして、いまだに、喪失感のような

ドーッと重いものを背負わせられたかのような気持ちが続いています。

私の肩にドーッと重荷が

昨夜(8月9日)自分の思いをシェアする機会が与えられました。

すると、ひとりの兄弟が近づいてきて「祈っていいですか?」と言われました。

一瞬何のことがわからなかったのですが、私の左肩に手を置いて私のために祈ってくださいました。

心の重荷がかなり軽くなりました。

実は私の一番痛い左肩に手が置かれていたのです。

祈っていただいている最中も痛みを感じていましたが、今はかなり軽くなっています。

心とともに!

人のために祈ることはあっても、直接祈られる数少ない貴重な体験でした。

主イエス様の癒しを感謝します!

このウェブチャを読んでくださっているみなさんも、背負われている重荷が少しでも軽くなりますように、お祈りします。

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