◉ ノアの時代とイエス・キリストの再臨
人の子(イエス・キリスト)が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。マタイ24:37イエス・キリストが来る時、すなわち、空中再臨の時の世界の道徳的な堕落の様子は、ノアの時の人類の堕落や反逆と同じような状況だというのです。つまり神は、今も人類が罪の生活の中からイエス・キリストを救い主として信頼し、裁きから救い出されるのを待っておられるのです。
さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。 そこで、【主】は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう」と仰せられた。創世記6:1〜3あと120年経つと大洪水によって地が滅ぼされるとカウントダウンが始まりました。そうなる原因はなんだったのでしょう。それの主原因を伝えている言葉です。いくつかの解釈があります。
「神の子ら」とは誰のことを指しているのでしょうか?「神の子」イエス・キリストの他に「神の子」が次男、三男といるのでしょうか?それはありえません。3つの説の可能性を考えてみましょう。
1.「神の子ら」とは、堕天使、悪霊どもという説
「神」(エローヒーム)は複数形です。堕天使ヘイレル(サタン)を中心として、太陽や月やあらゆる被造物を神々(エローヒーム)として人間をだましてきた子ら(ベネイ )は、神々の子らである堕天使たち、悪霊どもとも考えられるかもしれません。しかし、天使たちや堕天使たちも、生殖能力を持たず増殖できない存在で、子孫を残せません。その数は創造の時から変わっていません。
「復活の時には、人はめとることも、とつぐこともなく、天使たちのようです。」マタイ22:30 とイエス・キリストが復活後の人の新しい栄光の体とはどうであるかとの説明で、天使たちを例に説明されています。
したがって、堕天使たちと人間との間に子供が生まれて、半天使半人間の子供が生まれたということはありえません。また、そのような子孫のための救いについて、聖書は一言も触れていません。生物学的にもありえないでしょう。
2. 悪霊にとりつかれた者同士による結婚という説
人々がサタン崇拝を始め、悪霊の力を求めて男も女も悪霊にとりつかれ支配されるようになった。その結果悪霊にとりつかれた者同士が、子供を作り、その子孫ごとサタンの支配下に置く策略は功をなし、その結果貪欲と欲望と暴虐に歯止めがつかなくなっていった。神への反逆者サタンは、神の愛の対象である人類を支配し、「女の子孫」として生まれて来るメシアの誕生を阻止し、絶滅に向かわせる計画です。堕天使および悪霊の悪魔的な力をもらうために、悪魔を崇拝し、悪霊を受け入れ、悪霊どもにとりつかれた人間たちが増えていったという描写かもしれません。
◉ 創世記6:1〜2と4〜5の翻訳が随分と違う
さて、地上に人が増え始め、娘たちが生まれた。 神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした。この訳によると神の子たちがネピリムを娘たちに産ませたと読めます。
そのころ、またその後にも、地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった。
主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。(新共同)創世記6:1〜2、4〜5
さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、 神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。この訳ですと、ネフィリムは、彼らに子供が出来た頃、すでに存在していたのであり、彼らの子孫とは無関係な存在となります。
神の子らが、人の娘たちのところに入り、彼らに子どもができたころ、またその後にも、ネフィリムが地上にいた。これらは、昔の勇士であり、名のある者たちであった。【主】は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。(新改訳3)創世記6:1〜2、4〜5
どちらの訳でも、ネピリム=ネフィルムは「昔の勇士」であり「有名な人々」あるいは「名のある者たち」とあります。突然彼らの存在が書かれているだけで、前後の悪の問題とは、無関係な感じで挿入された扱いになっています。
3.「神の子ら」とは「男たち」という説
「神の子ら」と本訳された ヘブライ語「ベネイ ハエローヒーム」は「神に造られた人(アダム)たち」のことで、「男たち」を指している熟語です。とっても素晴らしい「聖書翻訳 ア・レ・コレト」さんの研究の成果を元に、もう少しわかりやすく1、2、4節をまとめてみました。どうしてそのように訳せるのか、詳しくは以下のサイトをご覧ください。今後のご研究の成果を期待しています。
(000)神の子と人の娘がご乱行? 創世記6章1節
(000)神の子とネフィリム 創世記6章4節
その後、世の中はひどく不道徳になった。女性が魅力的だったので、男たちは欲情の欲するまま全ての女性をはずかしめ、力づくで性的に犯した。こうして多くの子どもが生まれた。 創世記6:1〜2この翻訳ですと、人間の堕落が大洪水が起こる主原因であり、地球規模の大洪水が起こされ裁かれることになったと理解できます。堕天使や悪霊どもが主原因であれば、彼らを容赦なく裁いて、人間まで巻き込まなくても良かったはずです。また、ヤハウェは実際の人間の罪の行為だけでなく、いつも暴虐に満ちている人の心の中をご覧になっていたのです。(創世記6:6)
その頃、悪名高い暴力で人を虐(しいた)げ支配する者(ネフィリム)たちが出てくるようになり全地に広がった。神に創られた人間であったが、親から子に引き継がれるのは悪い行いばかりで、誰もが暴力的な人間となった。創世記6:4ネフィリムとは「弱者を虐げる者、暴力で人を支配する者、乱暴者」という意味があります。
あるいは、その凶悪化した人間は堕天使や悪霊どもの力を求めて、堕天使や悪霊どもとの関わりを持っていたかもしれません。
◉ ノアの時代の人たちだけのところにイエスは行ったのか?
そうではないと思います。ハデスの全ての罪人の霊魂のために、イエス・キリストが地の深いところであるハデスに遣わされたのです。ノアの時代の人間ほどに堕落し、神に反逆していた者たちはいませんでした。彼らが罪人のかしら、罪人の代表です。父なる神の心を深く傷つけた霊魂たちにイエスが遣わされたのなら、ましてや他の罪人たちもためにはなおさら、あわれみがもたらされるかもしれないとわかるはずです。そこで、こう言われています。「高い所に上られたとき、彼は多くの捕虜を引き連れ、人々に賜物を分け与えられた。」 ──この「上られた」ということばは、彼がまず地のさらに低い所に下られた、ということでなくて何でしょう。 エペソ4:8〜9
◉「地の低い(深い)所」とは?
旧約聖書から一貫して悪い所の死後の世界(シェオール)、すなわち、罪人が捕らえられている所ハデスだと初代教会時代も理解されていました。「地の深い 」の「深い」はギリシャ語でカトーテロス(κατώτερος )の比較級で「より深い」という意味です。シェオールの「より深い所」つまりハデスのことを意味していますここでも、イエス・キリストは「まず」ハデスに下ってくださったとパウロは言っているのです。また、ハデスにイエス・キリストが遣わされたことは、王であり預言者でもあったダビデの預言にもあり、ペンテコステ直後のペテロの説教でも確認済みのことです。
(使徒2:24〜32)
◉ イエスはハデスの霊たちのところへ行く必要があった
「イエス・キリストはハデスの捕らわれの霊たちのところへ行く必要があった」なぜわざわざハデスの方にイエスは行かれたのでしょう?
イエス・キリストが「まず、地のより深い所に下られた。」とは、本当に感動です。「まず」プロトーン(πρῶτον)「まず第一に」「まず最初に」という意味です。ハデスに行くことが重要なことだというのは、なぜでしょうか?
今日もウェブチャを訪れて下さってありがとうございます!
今はまさにノアのような時代に似てきているような気がしています。イエス・キリストの霊魂がハデスに遣わされた目的を、引き続き探ってみたいと思います。まず最初に、まず第一にハデスにくだられたのです。その神のご計画に驚かされ、神の愛の深さ、高さ、広さ、長さを味わいつつ、私の偏狭な考えと思いを探られました。ハデスに遣わされたイエス・キリストはあなたの元へもいつでも来てくださいます。どんな時にも傍に寄り添ってくださる聖霊なる神を覚えましょう。
主の守りと祝福のうちにお過ごしください!
宗教嫌いの私が、生まれて初めて聖書を開いて読んだのは、高一の春。今だに宗教とか、キリスト教は好きではありませんが、今ではすっかり、聖書の魅力にはまって、奥深いみことばの味わいとその力と不思議に、心温められております。
ただ真理や事実を知りたいと、化石、古生物学、天文学、考古学、歴史、預言、精神や心の世界、霊的世界、死後の世界…などと探求しつつ、いつの間にか50年以上経ちました。
専攻は地質学ですが、テキサスのパルクシー川底の同じ岩盤の上に続く、恐竜と人の足跡化石、その岩盤に立った時はかなりの衝撃でした!初代の創造科学研究会の理事の一人として、ここニュージーランドに移住するまで、日本各地で講演させてただき、また、 Masaluk(メイサルーク)のペンネームでマンガ・ジェネシスの1と2のシナリオを書かせていただきました。
1994年からオークランド日本人教会の牧会の一端を担い、2018年5月から、必要に迫られさらに多くの人に良い知らせが届くようにと、イエス・キリストを中心とするHomeチャーチ「Japanese Bible Ecclesia (J-BE)」 https://ajbe.net/ を新たに始め、現在に至ります。
このウェブチャが、現在直接お会いできない皆さんにとっても、祝福の助けになりますように!(笠原 勝)
プッシュ通知を
コメント
いつも熱心に学んでくださりありがとうございます。2冊の聖書とは2017年版と第3版ですか?しっかりと比較されて読まれているのですね!学ぶ事は時間がかかるものです。しかし、じっくり聖書を学ばれる事で、聖霊なる神様からの祝福をたくさん受けられる事でしょう。ウェブチャもお役に立てているようで光栄です。
質問の部分は大事な部分ですから、ウェブチャで取り上げさせていただきます
聖書を2冊引き合いに出しながら読んでいると時間が掛かり、なかなかコメント出来ません!
2017年版のエペソ4:9は、>彼がまず地の低い所に下られた、ということでなくて何でしょう。 が >彼が低い所、つまり地上に降られたということでなくて何でしょうか。 となっています。
私はイエス様がハデスに下られて宣告されたことに異論はありませんが、死に打ち勝った、購われたという福音がまだ地上の人々に伝わる前に何故ノアの時代の霊たちにだけ伝えられたのか、、、等など現状では疑問が色々と残っています。
しかしこの2017年版が意図的に、>地上に降られた としたのであれば、うっかりミスどころか悪意を感じます。内容が全く変わってしまうからです。
ご紹介にあった>聖書翻訳 ア・レ・コレト の記事も参考にしながらですと、読み進めて理解するのに更に時間が掛かりそうですが、忘れないうちにコメントさせて頂きました。