三位一体の神(1) 天地万物の創造

三位一体の神
初めに神が天と地を創造した。創世記1:1
これは、聖書の最初の最初、旧約聖書の書き出しです。

これが理解できれば、あなたの人生は最高に良い方向へ変わります
この言葉が言っている事はとてもシンプルですが、とってもたくさんのことを含んでいます。
  • 時間には起源があり、この時始まったこと。
  • この宇宙(宇宙空間)には起源があり、この時に神によって創造された事
  • 物質には起源があり、物質の大元はこの時に神によって創造された事
  • 起源の原因は、神 ヘブル語で「エローヒーム」אֱלֹהִיםによる創造であった事
時間と空間と物質の連続体」として取り上げ、究極的な起源があり、時空間と物質が神によって創造されたと教えているのは、おそらく聖書だけでしょう。
どんな宗教も結局は「何かがあった」ところからはじまります。しかし、その「初めにあった」ものがどのように存在するようになったか、については説明がありません。永遠の昔からあったとか?話を濁しているだけです。

創造する」は、ヘブル語でバーラー בּראという単語が注意深く使われています。「何も無い、無」から創り出すことであって、「無から有を呼び出せる」のは、エローヒーム(複数形)だけができる行為です。いくら待っても、「無」からは何も出てきません。137億年待っても何も出てきません。
この「初めに」の前は、「時間」も「空間」も「物質」も存在していませんでした。「天使」も存在していませんでした。三位一体のエローヒームだけが、存在していたのです。

宇宙も時間も物質も起源があるのです。それらは、永遠から存在していたのではありません。永遠に存在するわけでもありません。永遠から存在し、永遠に存在される方は三位一体のエローヒームだけです。
時空間と物質の創造に三位一体のエローヒームが関わったのです。

三位一体の神エローヒームとは?

「三位一体」とは、聖書には書かれていない言葉ですが、随所に描かれています。
聖書の冒頭の初めの言葉からも表されています。
複数形のエローヒーム「神」のヘブル語を単数形の動詞バーラー(創造する)で受けることで、三位一体の神の概念を伝えています。

三位一体を理解しようとすると、私たちの有限の頭の理解力を超えているように思いますが、今回少しでも理解に近づきたいと思います。
聖書を読むならば、どう読んでみても三者が別々に存在されています。その三者がひとりとはどういうことでしょうか?

1. 神は霊です(ヨハネ4:24)

唯一の無限の霊です。 物質においては1+1+1=3ですが、神は物質ではなく霊です。1+1+1=1となりうるのです。霊においては可能です。後半にそのことをもう少し説明します。
イスラエル人が1日2回朝夕に唱える言葉は、
聞きなさい。イスラエル。主(ヤハウェ)は私たちの神(エローへヌー)。主(ヤハウェ)はただひとり(エハッド)である。」申命記6:4
寝る前と起きる時に、最も大切な言葉として、唱え暗唱しています。3回神の名が繰り返されるのは、初めから順に父なる神、子なる神イエス、聖霊なる神を指しています。
律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」 イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。マルコ12:28〜29
唯一とはヘブル語の「エハッド」אחד で、複合体の唯一であり、部分からなり一つに統一されることを意味しています。
似た言葉に、「ヤヒッド」というヘブル語がありますが、絶対不可分の唯一、絶対的単一を意味しています。聖書に12回使われていますが、神の統一性については一度も使われていません
単一性で神を考えるのは間違いです。単一性の神として父なる神が子なる神となって、十字架にかかり自らを裁かれるという自作自演をしたわけではありません。
ヤハウェは、私たちのエローヒームであり、ヤハウェは、統合されたヤハウェである。」申命記6:4
「ヤハウェ」は「エローヒーム」と同じように複数を意味している言葉です。
アドナイ」「エルシャダイ」もともに複数形です。
イスラエルの王であるヤハウェ、これを贖う方、万軍のヤハウェはこう仰せられる。
「わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかにエローヒーム(神)はない。」
イザヤ44:6
わたしは初めであり、わたしは終わりである。」とはヤハウェに対する形容です。そして、同じ形容がヨハネの啓示録でも繰り返されます。誰について言っているでしょうか?
見よ、彼が、雲とともに乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。 神である主、今いまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。啓示録1:7〜8
雲とともに来られる方とはだれですか?
イエス・キリストです。この方は、十字架にはりつけになられた方です。このお方も、ヤハウェです。後に来られる方はイエス・キリストであり、その方は、神(エローヒーム)である主(ヤハウェ)です
恐れるな。私が最初であり、最後である。」 啓示録1:17
これも、ヤハウェに対する形容ですが、イエス・キリストについて言っています。
(わたしが)生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている」 啓示録1;18
一度十字架において完全に死なれたヤハウェは、イエス・キリストの他にいません
ハデスにまで行かれた方は、イエス・キリストの他にいません

イエス・キリストもヤハウェなのです。
エローヒームが複数形であるように、ヤハウェも複数名詞であり、父なる神も子なるイエス・キリストも聖霊なる神もヤハウェなのです。唯一とは複合体の統一を意味しています。
私たちは、「世の偶像の神」は実際にはないものであること、また、唯一の神以外には神は存在しないことを知っています。なるほど、多くの神や、多くの主があるので、神々と呼ばれるものならば、天にも地にもありますが、私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主(ヤハウェ)なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主(ヤハウェ)によって存在し、私たちもこの主(ヤハウェ)によって存在するのです。 Iコリント8:4〜6
存在させられているもの(神々)と、初めから存在しているもの(神)との違いです。
全ての神々と呼ばれるものは、人があって存在しているものです。人が仕えていないと存在できないのが神々です。それらは人が作り出したものです。人を存在させた方が真の神です。

今日もウェビチャへようこそ!
忙しい日が続いて、ウェブチャが書けませんでした。金曜日の朝、孫娘が授業中にマットの上に座って、先生の話を前を向いて聞いている最中に事故が起こりました。先生の話を聞かないで動き出した男の子の靴の足で、孫は左目を蹴られてしまい、左目の視野が真っ暗になってしまいました。連絡を受けて慌てて学校へ駆けつけ、GPに緊急で診てもらえるようにお願いするけれども、多く患者さんがいて、結局、1時間以上待たされ、必死で祈る私たち。天使の守りはどうしたかと?
本当に自分の分だけでなく、周りの者たちの守りのためにも祈りが大切ですね。

しかし、神様は、守ってくださって、左目に光を与え、失明から守られ、6歳の誕生日を無事迎えられました。

さて、三位一体の神についてこれから続いて書いていきたいと思います。決して十分ではありませんが、みなさんがこれからさらに学びを深める助けとなりますように祈っています。

今日も良い1日をお過ごしください!
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コメント

  1. 応為 より:
    お孫さんの為にお祈りします!さぞ痛くて怖かったでしょう…完全に回復されますように。
    親御さんも信仰を試される時間だったと思います。主の平安がありますように。
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