高齢化、好例か?

教会(エクレーシア)

高齢化、好例か?

今日は深刻な問題を検討してみます。
しばし、おつき合いください。

日本の牧師の高齢化
89%が50歳以上!
教会のメンバーの高齢化
平均年齢が60歳を超える教会が珍しくない。
日本も、アメリカも、ニュージーランドも、
他の国も似たようなものかな?

10年前は、まだみえなかった。
20年前は、脂が乗っていた。
30年前は、これからへの期待でいっぱいだった。
40年前は、なんだか分からず、ガムシャラに走っていた。

何もしなければ、高齢化が進むだけ。

それぞれの年齢で充実していれば良いのだろうが、
現実はそうとも言えない。

24年前にこの国に来た時も、
すでに、教会堂に集まる人の空洞化が進んでいた。
そんな地元の教会はどこも似ていた。
高齢者と、その孫たちだけで、
若い世代は、孫を両親に預け、遊びに行って不在だった。

中には、メッセージを担う人もなく、
広い建物の、前の方で、長椅子に2人3人がゆったりと
というと聞こえはいいが、
ポツリポツリと
歯の抜けたようだった。

10年後、20年後には、日本でも起こること

予感せざるを得なかった。

世の中の経営であれば、とっくに赤字で、
経営者は、直ちに責任を取らされることだろう。
問題を探り、対策を練って、
原因に向き合い対処したことだろう。

メンバー達がけなげに捧げる献金に甘んじ、
なんの対策も練らず、仕方ないとして来た結果だと言われて
弁解が成り立つのだろうか?

1タラントを預けた主人は、

長い旅を終えて戻って来られる。
1タラントを預けたシモベたちが、どのように働いたかを知るために。

現状を検討しなくていい?

教会とは、教会堂や集会所に集まること、
そこに人集めをすること、
教会堂を中心に人数の増加を願うこと、
といった考え方を
真剣にそれでいいのか検討すべきだ。

日曜日にも働かなければならないでしょう。
お金がなくて困っているんだから、
やっと稼いだお遣いから、電車賃なりを払って、
時間をかけて出かけて、
やっとの思いで出かけてきたのに、
話がわからない。その上、
献金までとられては、後が続かない。

「出て行って伝道する」のが基本では!?

2人でも3人でも集まりたい人たちが近くで、
声を掛け合って、
自主的に集まるエクレーシア。

心に届く距離。
助け合えて、支え合える人数。
お互いがハッピーな関係。
隣人愛を超えた、「互いに愛し合う」関係の実現。

肩肘を張らないで
リラックスして話せる関係。
普段着で集まれる。
宗教くさくない、
愛と喜びのある集まりが
私の周りではじまっている。
きっとあなたの周りでも、始まると期待しています。

今日もウェブチャに来てくださってありがとう!
プッシュ通知を

コメント

タイトルとURLをコピーしました