そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「あなたは、よくなりたいのか。」ヨハネ5:5〜6
むしろ、自分で自分の人生やり直すことができないと、その力も何もない、とわかっても、そこから再出発が可能です。
自分の足らなさ、不完全さ、至らなさにほとほと嫌気がさしても、「それが自分だ。」としっかりと受け止める機会とすることです。ありのままの自分を受け止めて良いのです。
「もう、無理!」そこからの出発です。
イエス・キリストが質問します。「あなたは良くなりたいのか?」
「???」
なんと野暮な質問でしょうか⁉︎
ベテスダの池の周りに様々な人生がある
普通の日常生活ができなくなっている病人がいます。体力も気力も失われているのです。
見えるべきものも見えず、自分の本来の姿も見えなくなって、未来も見えない人がいます。正常な歩みができず、挫折や失敗を繰り返し、新たな1歩を踏み出せない人がいます。やせ衰えて、生きる意欲も力も気力もなく、自分をささえられないで倒れている人がいます。
私も、全く気力を失った時がありました。心が病んでいることに自分で気づかないのです。体が不調で、体の病気だと思っていました。眠れなくなり食べられなくなり、運転が危うくなり、仕事が続けられなくなり、…2017年の世界保健デーのテーマは「うつ病」でした。WHOによると、世界のうつ病患者数は3億人を上回り、うつ病から年間約80万人が自殺とのことです。
共通している問題は、病んでいるということです。
問題が一向に改善されず、良くならないことです。自分で解決の答えが見つからない、
助けがない、希望がない、絶望感に潰されそうになっているということです。
しかし、イエス・キリストは、あえて「あなたは、良くなりたいのか?」と質問します。
失敗の原因、問題の原因をせっかく突き止めたのに、いつまでも人のせいや自分のせいにしていないことです。自分を否定したり拒絶しても、なんの解決にもなりません。
むしろ、自分で自分の人生やり直すことができないと、その力も何もない、とわかっても、そこから再出発が可能であることを知ってください。
自分の足らなさ、不完全さ、ダメさ加減にほとほと嫌気がさしても、「それが自分だ。」しっかりと受け止める機会としたならば、次のステップがあります。
ありのままの自分を受け止めた後、しなければならないことがあるのです。
「もう、無理!」そこからの出発です。「あなたは、良くなりたいのか?」
38年間も病気にかかっている人に、イエス・キリストが質問した言葉です。
「もう長い間、伏せっているのを知った上で」質問をしているのです。
「良くなりたい」のに決まっているでしょう!
酷な質問じゃないですか!?
「あなたは、良くなりたいのか?」
実は「良くなれる」鍵を握っているのは、「あなた」です。
周りの人でも、環境でもないのです。
ベテスダの池は人間社会の縮図、生存競争と脱落
病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」ヨハネ5:7
「はい、私は良くなりたいのです!」と素直に、まっすぐに答えられない。
失敗の連続、挫折の連続で、歪んでしまっている心、
折れてしまっている心、
不幸を人や環境のせいにし、言い訳でバランスを取ろうとしている心、
愚痴とため息が吐き出され、不幸と惨めな思いで淀んだ池の周りで横たわっているだけなのです。
はじめは、今よりは気力がまだあったのです。
あれこれ解決策を真剣に考えていたのです。
しかし、一向に答えが見つからない。
夜も眠れず、1日中考えるようになり、不眠症になり、
治りたいという希望と意思も、気力も心もいつのまにか病んでしまっているのです。
「誰かが私を」などと、人頼みをしているうちは、解決しません。
「状況が良くなったらなんとかなる」とか、環境や周りの変化を期待している間は、良くなりません。
年齢や問題の大きさ、自分だけでない問題であること、問題解決の難しさから、
実は内心、「あきらめ」始めているかもしれませんね。
現実的に「無理だ」と考えている。
「水がかき回された時」行動したいと思うが、出遅れる、「途中で挫折してしまう」、
自分が到達するより先に「もう他の人が先に降りていってしまう」助けてくれる人などいない。
挫折経験の積み重なりが、ますます「あきらめ」という重い鎖となって足にまとわりついてきます。
「あなたは、良くなりたいのか?」 再出発の鍵を握るのは、ほかでもない「あなたです。」
素直に、「はい、私は、良くなりたいのです!」と応答しましょう。
人にいくら訴えても、人間には問題を解決できないものがあるのです。
「はい、私は、良くなりたいのです!」と神に伝えましょう。
自分の言葉で「私は良くなりたい!」と祈りましょう。
さらに、この人はどうなったのでしょうか? 続いてみていきましょう。
今日も良い1日をお過ごしください!
宗教嫌いの私が、生まれて初めて聖書を開いて読んだのは、高一の春。今だに宗教とか、キリスト教は好きではありませんが、今ではすっかり、聖書の魅力にはまって、奥深いみことばの味わいとその力と不思議に、心温められております。
ただ真理や事実を知りたいと、化石、古生物学、天文学、考古学、歴史、預言、精神や心の世界、霊的世界、死後の世界…などと探求しつつ、いつの間にか50年以上経ちました。
専攻は地質学ですが、テキサスのパルクシー川底の同じ岩盤の上に続く、恐竜と人の足跡化石、その岩盤に立った時はかなりの衝撃でした!初代の創造科学研究会の理事の一人として、ここニュージーランドに移住するまで、日本各地で講演させてただき、また、 Masaluk(メイサルーク)のペンネームでマンガ・ジェネシスの1と2のシナリオを書かせていただきました。
1994年からオークランド日本人教会の牧会の一端を担い、2018年5月から、必要に迫られさらに多くの人に良い知らせが届くようにと、イエス・キリストを中心とするHomeチャーチ「Japanese Bible Ecclesia (J-BE)」 https://ajbe.net/ を新たに始め、現在に至ります。
このウェブチャが、現在直接お会いできない皆さんにとっても、祝福の助けになりますように!(笠原 勝)
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