神の安息(3) 第7日目の祝福、神の安息 略奪と 回復

起源・創世記

◉ 第七日目は、今も続いているのではない

第七日目は、今も続いているのではありません。 残念ながら、おそらく翌日に、安息は破られてしまいました。神を讃える存在だったルシファー(英語)「明の星」というヘブル語名ヘイレル(הילל)がおるべき自分の立場から逸脱して、不遜にも神になろうとしたのです。ヘイレルは、初めはケルブという天使の最高位の天使たちのケルビム(ケルブの複数)の一人でした。

ところが、自分が神の立場になろうと企て「神の心を占めるアダムとエバの心を奪おう」と実行しました。その時、天使ヘイレルは、堕天使サタンとなったのです。ヘブル語でサーターン שָּׂטָן は「敵対者」「妨げる者」「誹謗する者」「訴える者」を意味します。サタンは日本語では悪魔です。神に敵対するサタンは、アダムとエバを誘惑し、神に背く同じ道へと二人を引きずり込んでしまったのです。

◉ ヘイレルが反逆しサタンとなったのは、まさにこの時

間隙説(ギャップセオリー)の間違い

ヘイレルが反逆してサタンとなったのは、創世記1章1節と2節の間ではありません。
現在の宇宙も地球も以前の世界があって、サタンの反逆によって滅ぼされ、再創造されたのでもありません。そのような根拠は聖書のどこにも見出せません。

これらの考えを間隙説(ギャップセオリー)と言いますが、間違っています。進化論の長い地質年代をなんとか創造の6日間に入れ込もと、無神論と妥協するのは間違いです。

日時代説の間違い

一日は1000年であったとか、一日は地質年代だったとか考えようとする(日時代説)も、妥協と矛盾に満ちています。
  1. 進化の順序と創造の順番は異なっています。
  2. 神にとって一日は千年のように、千年は一日のようでありえますが、人や他の動物は生理的に不可能です。
  3. 人の体内時計はほぼ一日セットされています。
  4. ほとんどの花が虫媒花ですが、昆虫の誕生までの間、千年も一年も待てません。
  5. 地球の自転が一日が千年でも、500年間昼となり太陽側は焼け焦げます。500年間夜となり凍りつきます。千年が一日となるならば、地球の自転における一日は86秒となり、昼間が43秒となります。こんなに早い回転速度に誰が耐えられるでしょうか。そんなに早い自転速度の天体はありません。地球の形も赤道方向が出っ張り、球ではなくなるでしょう。それより、地球の引力よりも遠心力がはるかに強くなりますので、地球に張り付いていることが不可能です。いずれにせよ。地球上の生命体は、生存できないのです。
こういった日時代説も間違っています

◉ 「見よ。それは非常に良かった!」

創造の六日目の最後に、「神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。」と神ご自身が宣言されています。「良かった!」との今まで評価以上に、「全てのもの」を見られて、「非常に良かった」と宣言されたのです。もし、その時点でヘイレルがサタンとなっていた場合も、また、ヘイレルに反逆の思いがあった場合も、神は「非常に良かった」などと言わなかったでしょう。

また、「1節と2節の間に以前の世界が裁かれた」という聖書的になんの根拠もないことを入れ込むなら、多くの生物が滅んだ遺体と膨大な化石がある世界の上に、現在の地球があると言うことです。その上に新たに生命が創造されたとしても、「非常に良かった」などと言わないのです。購入した土地があとになって「以前、お墓で土葬の遺体が下にたくさんあることがわかった」としたら、「良い土地が買え非常に良かった!」なんて絶対に思わないことでしょう。

人間は間違うかもしれませんが、神は盲目ではありません。心の中まで見抜く方です。現在の弱肉強食の世界を決して良いとは言っていません。それはアダムの罪にいより動物の世界が呪われた結果なのです。1節と2節は、他の節と同じように連続しいており、一日は現在と同じほぼ24時間なのです。創造の期間は6日間でした。

◉ 神の安息は、奪い取られた!

アダムとエバの心が、神の心のど真ん中から離れた時に、神の安息は人類から奪い取られたのです。ですから、イエス・キリストは人類の救いと贖いのわざに、すぐ取り組まれなければなりませんでした。人類の救いのため、造り主である神の子イエスは、アダムとエバが堕落すると間髪を入れず、救いの福音を二人に伝えました。これが最初の福音(良い知らせ)です。
わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。
創世記3:15
罪人となって不安を抱えたアダムとエバにすぐ、この福音が伝えられたのです。そして、それを実行するために、イエスは女の子孫として処女マリアから生まれ、人間となり、律法の下にあるものとして来られるという壮大な計画が実行されたのです。

女の子孫とはイエス・キリストです。おまえとはサタンです。おまえの子孫とは反キリストのことです。サタンは、イエス・キリストの十字架の時においてイエスのかかとに噛み付きましたが、同時にイエス・キリストはサタンの頭を踏み砕いたのです。神の安息の人類に取り戻すためです。
わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです。
ヨハネ5:17
「神の安息」の回復のため、人類が安息できるようにイエスは十字架にはりつけにされました。父なる神の混ぜ物なしの裁きと怒りを一身に受けてくださったのです。私たちの身代わりとしてです。
あなたがわたしに行わせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。ヨハネ17:4
十字架による贖いのわざを「成しとげる」(ヘブル語のテレイオー τελειόω )と強い意志を持って語られています。

実際にイエスは、酸いぶどう酒を受けられると、完了した!」と宣言されました。そして、頭をたれて、霊を父なる神にお渡しになったのです。
完了した (テオス τέλος )の完了形 テテレスタイ 贖いの完成 「完了した。完済された!」 完済とは、借金の支払いの完了です!もはや私たちは未解決の自分の罪のために、後ろ指を指されずに済むのです。

今日もウェブチャへようこそ!
イエス・キリストは「神の安息」を私たちに与えてくださったのです。
受け取る人は「神の安息」の中にいこえます。私たちが自分の罪のために、何かをしなければならないという負い目はもはや、何一つないということです。私たちは「神の安息」の中に休むのです。罪の償いを自分でする必要がもはやないので、休むのです。創造のわざの完成で「神の安息」の中にゆったりと休む第七日目の安息があったようにです。イエス・キリストによる贖い、罪の償いの完成によって、安息が与えられたからです。
ありがとうイエス様!
心に安息を持ちつつ色々な問題を乗り越えてください!
プッシュ通知を

コメント

  1. MasaluK より:
    応為さん、いつも注意深く読んでくださりありがとうございます。私の打ち込みミスですので、訂正しました。これからもよろしくお願いします。
    Mokomonさん、コメントありがとうございます。アダムの罪の結果の呪いは、自然界に及びました。現在も動物界も植物界もその呪いの束縛の元にあります。毒ヘビ、毒蜘蛛や毒虫、毒草、病原菌なども呪いの結果、人間に害を与えるものへと変化したものです。人間に害を加えたりするものなど、呪われたものは何一つありませんでした。
    そして、アダムとエバを誘惑するため使われた動物は、「蛇」ではありません。「ナーチャーシュ」(נחשׁ)という四つ足の野の獣、おそらく恐竜の一種でしょう。蛇は今も当時も鱗を立ててはっています。元からそのように造られているからです。よろしければシナリオをてがけました「マンガジェネシス」をお読みいただけるととってもわかりやすいと思います。
    「ナーチャーシュ」は足があって歩いていたのに這って歩かなければならないという呪いを受けたのです。口にチリや泥か入り込むほどの屈辱的な姿勢で歩き回ることになりましたら。そのあとサタンの化身「竜」となったのです。世界各地にてある竜伝説、そして終末に関しての預言で啓示録にも描かれています。
    イザヤ書65章25節ような状態が、エデンの園だけでなく、当時の地球上でした。20~25節は回復の予言です。千年王国で実現します。神が私たちとともに住むという神のご計画は、中断したままですが、必ず実現します。間も無くです。楽しみですね
  2. 応為 より:
    いつも力強いblogをありがとうございます!
    >あなたがわたしに行わせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。ヨハネ17:3
    上記はヨハネ17:4だと思いますが、聖書の版が異なるので訳も異なっています。再度ご確認頂ければ幸いです。
    取り急ぎ。
  3. Mokomon より:
    弱肉強食の法則が、アダムの罪によって動物達も呪われた結果だというのは驚きました。蛇だけが呪われたわけではないのですね!イザヤ65章25節にある、狼と子羊はともに草をはみ、というのはエデンの園での出来事ということでしょうか。感慨深いです。
タイトルとURLをコピーしました