三位一体の神(4) 三つの区別と一つであること

三位一体の神
前回の続きとなりますので合わせてどうぞ。
三位一体の神(3) 聖霊
前回の続きとなりますので合わせてどうぞ。 前回は三位一体の独立した三者の実体について、父なる神と子なるイエス・キリストについて学んできました。今回はもう一人の実体である聖霊について聖書から学んみたいと思います。 (3) 聖霊なる...

3. 三位一体の神は、お互いを区別し、異なる人称代名詞を使っている

それは、独立した別の実体であり、人格(神格)だからです。
わたし(イエス・キリスト)が(なる神)のもとから遣わす助け主、すなわちから出る真理の御霊(聖霊)が来るとき、その御霊(聖霊)わたし(イエス・キリスト)についてあかしします。ヨハネ15:26

しかし、その方、すなわち真理の御霊(聖霊)が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。 御霊わたし(イエス・キリスト)の栄光を現します。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。 父(なる神)が持っておられるものはみな、わたしのものです。ですからわたしは、御霊わたしのものを受けて、あなたがたに知らせると言ったのです。ヨハネ16:13〜15

イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。「よ。時が来ました。あなたの子(イエス・キリスト)あなた(父なる神)の栄光を現すために、子(イエス・キリスト)の栄光を現してください。 ヨハネ17:1

4. 複数なのに一つとか、ひとりとか、唯一が成り立つわけは?

この辺りが理解に苦しむところですが、みなさんはどうですか?
もう一度復習してみましょう。
「聞きなさい。イスラエル。主(ヤハウェ)は私たちの神(エローへヌー)。主(ヤハウェ)はただひとり(エハッド)である。」申命記6:4
神は唯一であると言う時の「ひとつ」「唯一」とはヘブル語の「エハッド」です。「エハッド」אחד は、「複合体の唯一であり、一つに統一されている」ことを意味しています。
体や実体は別であっても、心と霊においては一つとなれるのです。
ヒントになるいくつかの「エハッド」אחדの使われ方をみてみましょう。

(1) 夫婦において

それゆえはその父母を離れ、と結び合い、ふたりは一体(エハッド)となるのである。 創世記2:24
夫婦になる男女は両方とも当然人間ですが、全く別の存在であり、別の人格です。結婚する男(イーシュ)は両親から精神的に独立し、妻(イシャ)と結び合い、二人は一体となることが祝福です。そして、心と霊において一つとなる事が結婚した夫婦の目指すところです。

すなわち、夫婦が目指すところは、三位一体の神の関係を具現化することです。父でもなく母でもなく、他人でもなく、夫婦がお互いを第一の優先順位として守り続けることです。そして、一つとなるために、共有する関係、依存し合う関係を神の愛で実現していくのです。その結果、独立した二人の別々の人格であり、実体でありながら、一つ(エハッド)であると表現されるというのです。

(2) エクレーシアにおいて

イエス・キリストに信頼し、イエスに属する者たちも、大勢いても一つになることが求められています。イエス・キリストのうちには父がいつも存在されるように、父の御心を行い続け、父の願うこと以外は何もなさらないように、父なる神とイエスは一つ(エハッド)です。イエスはいつも、父と共にありました。あの十字架と死後の3日間以外は。
わたしと父とは一つです。 ヨハネ10:30
イエス・キリストは肉体を持って人として歩まれた時も、父なる神と一つ(エハッド)であり続けました。どのうようにそれが可能でしたか?肉体を持ったイエスは地上を歩まれていましたが、心と霊において父なる神と一つ(エハッド)だったのです。

イエス・キリストにつながる私たちも一つ(エハッド)となることが、エクレーシアの群れの目的です。大勢いて、考え方も、性格も人格も別々ですが、私たちも父なる神の栄光を求め、御心に従うこと、互いに愛し合うことで一つ(エハッド)となる事を目指すのです。
わたしは、ただこの人々(弟子たち)のためだけでなく、彼らのことばによってわたしに信頼する人々(私たち)のためにもお願いします。 それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。
 
またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように彼らも一つであるためです。 わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。 ヨハネ17:20〜23
世界中のエクレーシアのキリストに属する者たちが一つになることは、三位一体の神が一つであることと比べられています。どの程度に一つになれば良いのでしょうか?三位一体の神が唯一であるようにです。「わたしたちが一つであるように」「彼らも一つであるため」とイエス様は言われました。ヘブル語で話されたなら、エハッドと言われたことでしょう。大勢でも一つ(エハッド)あることが可能なのです。

(3) 全く不可能な「一つ」が実現することにおいて

神の奥義が、キリストの十字架によって明らかにされてきました。それは、全く不可能と見える異邦人とユダヤ人が「一つ」とされる事です。それは、神の奥義であり、神のご計画であり、神が実行に移され間も無く実現します!
みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。 エペソ1:9〜10
一つになり得ないユダヤ人と異邦人という全く異なるものを一つにして、新しい一人の人に造り上げるのは、神の奥義です。それは、イエス・キリストの十字架から実行に移されてきました。そのご計画の完成の時が近づいていると言えるでしょう。
…このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、 エペソ2:15
それは、イエス・キリストの十字架のみわざを通して実現するようになるのです。
…以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、二つのものをご自身において新し いひとりの人に造り上げて、平和を実現 するため・・なのです。エペソ2:13〜15
神の家族として一つにされていく事は、三位一体の神の素晴らしい働きです。
聖霊はそのことを実現させるように今も働いておられます。ユダヤ人も異邦人もイエス・キリストを通して一つの家族として、父なる神のみもとに近づくのです。
私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において父のみもとに近づくことができるのです。こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。 エペソ2:18〜19
 
今日もウェブチャへようこそ!
 
複数であるものが一つ(エハッド)になりうるいくつかの例を通して、少しでも三位一体の神について理解する手がかりが得られたでしょうか?三位一体の神に信頼する私たちは、身近なところで霊と心において一つになることを通して平和を求めたいと思います。

お互いの違いを認め合い、独立した関係でありながら、夫婦で、エクレーシアで、心と霊において一つとなることは、三位一体の神の御心です。それに必要な赦し合う心と愛し合う心を聖霊なる神が与えてくださることでしょう。

今日「一つになる」ことについて求めてみませんか?
今日も良い1日をお過ごしください!
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コメント

  1. 応為 より:
    エペソ2:19が心に響きます。神様のご計画はとてもシンプルに見えて、罪の性質をもったままの自分ではとても難しい…と思われる時もあります。
    しかし、この”キリストを通して”という所に救いがありますね。
    感動します。
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